9月16日 日本一遠い温泉への道(富山県)

朝日新聞2019年9月14日be6面:ひとっ風呂浴びに3泊4日 白く濁ったお湯に肩までつかる。硫黄のにおいが漂う。熱すぎず、ぬるすぎず、絶妙の湯加減だ。思わず、ほぅと息が出る。体にじんわりと温かみが広がる。丸2日、十数時間かけて、登り下りを繰り返し、シャツが絞れるほど汗をかいた体が癒されていく、あぁ来てよかった。ここは北アルプスの再奥、黒部川の源流に近い高天原温泉(富山市有峰)だ。登山道しか通じていない。西の冨山市側からも、北の黒部ダムからも、南の岐阜県・新穂高温泉からも、徒歩で十数時間かかる。途中で山小屋に1泊しないとたどり着けない「日本一遠い温泉」と呼ばれる。ひと風呂浴びて戻るのに、健脚でも2泊3日、そうでなければ3泊4日必要だ。標高2000㍍余り。その名も「温泉沢」沿いに手作りの湯船が三つある。いずれも石積みで、セメントで補強されている。沢から数㍍上がった高台に「からまつの湯」と女性専用の「美人の湯」があり、美人の湯はよしず張り。沢のそばに直径3㍍ほどの露天風呂「野湯」がある。遮るものは何もない。脱衣場もない。抜群の解放感だ。最も近い宿泊施設は、歩いて20分の高天原山荘だ。携帯電話は通じず、電気もない「ランプの山小屋」だ。記者が止まった8月初旬は、宿泊者は幸い定員50人とほど同数で、寝床は1人1畳を確保でき、ぐっすり眠れた。北アルプス最後の秘境といわれる雲ノ平に泊まり、往復6~7時間かけて温泉につかりにくる登山客も多い。高天原山荘の南側は湿原が広がる。花の盛りの7月はワタスゲの白とニッコウキスゲの黄色に埋め尽くされ、桃源郷と呼ぶにふさわしい。西には薬師岳が優美な姿を見せ、南東を見上げれば、鋭角にとがった水晶岳が壁のようにそそり立つ。富山県の一昨年の調査えは温泉は単純硫黄泉(硫化水素型)。毎分29㍑が湧出する。温泉を管理する高天原山荘の責任者・高橋司さん(60)によると、湯船の上流、数十㍍の位置にある岩の下から湯がわき出し、ホースで引湯している。不思議なのだが、7月初めに山荘が営業を始める頃は湧出量は多いものの湯温は四十数度。徐々に上がって山荘を閉める9月末になると60度近くになるという。温度管理が高橋さんの腕のみせどころ。三つとも40度にそろえるのが目標だが、源泉の岩の下のどこにホースを指し込むかでも湯温が変わり、気温や天候を見越して加える水の量を微妙に調整する。1日おきに湯船の掃除も欠かせない。温泉につかり、うつらうつらしながら考えた。こんな山奥の小さな沢沿いに、なぜ極上の温泉があるのだろう。 昭和の「山師」からの贈り物 高天原温泉を見つけたのは昭和時代の「山師」だという。山師は、地質など山相を見て金や銀などの鉱脈を見つけ採掘も行う。立山連峰の西側には、古くから金山などがあり、「越中七かね山」と呼ばれた。江戸初期、高天原温泉に近い薬師沢で山師が新しい金鉱脈を発見したという記録も残る。時代は下って昭和の初め。東京に本社を置く大山金山が、薬師沢近くの黒部川に50人ほどの作業員を投入して砂金を取り、金鉱脈を試掘した様子が当時の登山記に載っている。そして1929(昭和4)年、温泉沢でモリブデンの鉱脈が発見された。誰がどのように見つけたのか、詳細は分からない。一帯の地理、歴史に詳しい五十嶋一晃さん(83)は言う。「薬師沢と温泉沢は尾根を隔てているが、遠くない距離にある。金鉱脈を探して付近を歩き回った山師が温泉沢まで足を延ばし、たまたま見つけたのがモリブデンだったのではないか」 モリブデンは電極などに使われ、兵器製造に欠かせないとされた。31年から終戦の45年まで、大東興業(本社・東京)がモリブデン鉱石を計30㌧掘り出した。富山側へは道がなく、野口五郎岳を通り長野側へ。往路は食料や資材を復路は鉱石を人力で運んだ。天候の急変で運搬中に疲労凍死する作業員もいたと云われる。鉱山事務所の脇にあったのが、今の高天原温泉だ。採掘作業員がつかの間の休息を取る、憩いの場所だった。源泉がいつ見つかったか、はっきりしない。記者が温泉沢を少し歩いただけで、温泉の熱で変色した岩をいくつも見つけられた。モリブデンの鉱脈をみつけるとほぼ同時に源泉も発見されたのだろう。山師からの贈り物なのだ。大東興業は60年、今の高天原山荘を建設する。名目は鉱山の作業員宿舎だったが、当時盛り上がっていた登山ブームを当て込み、山小屋として活用する狙いがあった。富山県立山町芦峅寺の佐伯亀雄さん(98)は「村の若い者5人」と建設作業に当たった。当時としては珍しく、資材はヘリコプターで空輸。木の育ち方などから、雪が吹きたまらず、雪崩の被害にも遭わない場所を選んだという。同じ年に新しい登山道も開いた。薬師沢との合流点から黒部川右岸を進み、途中から尾根に取り付いて高天原温泉に通じる道だ。「作業はクワとナタ、ノコギリが頼り。行程の半分は黒部ダム開発の時の調査路が残っていて、作業は意外とはかどった」。会社の名前を冠して「大東新道」と命名した。大東新道は薬師沢小屋から2㌔ほど、黒部川の河原を石伝えに下る。川とほとんど高低差がないため、少しの雨でも冠水し、通行不能になる。「周辺でもことに雨に弱い道」と佐伯さん。実際、記者が訪れた日も夕立で黒部川が増水、登山者が一時足止めを食らっていた。温泉に通じる道は、実はもう1本あった。温泉から北に黒部川方向に延び、東沢谷につながる「高天原新道」だ。大東興業から依頼を受け、佐伯さんらが64年に伐開した。「地形の制約から、いったん黒部川まで下って再び登り返すなど、難しいルートしか選べなかった」。69年の集中豪雨で新道は随所で寸断され、わずか5年で廃道となった。大東興業は正式な許可なしに山荘の営業を始めたため、宣伝もままならなかった。年間の宿泊客は200人程度で低迷、採算は合わなかった。数年で音を上げた大東興業は、太郎平小屋などを営む五十嶋博文さん(79)に管理を委託、68年に山荘を売却した。モリブデンの採掘権も別の法人に譲渡、大東興業は姿を消した。博文さんによると、経営している四つの山小屋の中で、従業員の人気が最も高いのは高天原山荘だ。電話もネットも通じず、ランプ頼る生活だが、温泉があり、湿原と山が美しいゆえだろうか。70年に厚生省(当時)が営業許可を出す際、現地を訪れた国立公園の自然保護官が語った言葉を鮮明に覚えている。「こんなに美しいところなら、営業許可を出さずに、保護官の研修施設にしたいくらいだ」高天原山荘の最長滞在記録は1ヵ月。高齢の女性で、毎朝、温泉に通い、戻るとビールを1杯。昼寝して夕刻、再び温泉へ。なんと優雅な湯治ではないか。 文・畑川剛毅 写真・福留庸友

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