8月15日 従軍手帳 託された願い

朝日新聞2019年8月12日22面:部下の戦死 語られぬ無念 「これ、預かってくれないかな」ブルマ(現ミャンマー)戦研究者の遠藤美幸さん(56)=東京都=は5年前、元日本兵の金泉潤子郎さん(当時95)の自宅でそう言われた。手のひらほどの茶色く変色した手帖が3冊。うち1冊はバラバラだった。それは一兵卒だった金泉さんが「現場」を記した従軍手帳や日記だった。金泉さんは新潟県出身。1940年4月に千代の工兵第2連隊に入隊した。「4月15日晴(中略)午後5時半、銃ノ授与式有リ。銃ハ軍人ノ魂デアル」。その手帳には入隊からの日々がつづられていた。「5月4日晴曇 聖戦の目的。東洋平和確立にある」翌41年には上等兵となり、初年兵の教育係に。「2月14日晴 初年兵漕舟検閲。寒いにもかかわらづ元気でやって良い」。自身は初年兵のとき、誰かがミスをすると「連帯責任」で上等兵から制裁を受けた。「口の中が切れておつゆも飲めなかった。だから僕は殴らなかった」と語った。42~43年の米軍とのガダルカナル島の戦いでは飢えに苦しみながらも生還。その後ビルマに渡り、九死に一生を得て復員した。遠藤さんは元客室乗務員。ビルマで戦った航空会社OBから退職後に資料を譲り受け、大学の非常勤講師として近代英国社会史などを教えながら、ビルマ戦を調べるように。紹介されて2005年から金泉さんが参加する戦友会の会合に毎月足を運んだ。船上で起きたことを後世に残そうと元兵士を訪ねる遠藤さんに、金泉さんも何度も話をした。2年前、98歳で亡くなるまでそれは続いた。
「こんちくしょう、犬死にさせやがって」。金泉さんがそう漏らしたことがある。44年9月、中国国民党への物資援助ルートを遮断する「断作戦」で分隊長を務めたと時のことだ。中国雲南省の戦場で、敵が待ち構える中、金泉さんの部下十数人が立ち上がった瞬間に撃たれて死亡。自身も右腕に重傷を負う。異論がある中での突撃命令だった。戦友会の会合でもこのことは語られず、記録にも残されなかった。「『なかったこと』にされたのが金泉さんには無念で仕方なかったのです」と遠藤さんは言う。金泉さんは右腕が不自由になったが、戦後宮大工として成功。戦地を訪れ、慰霊と遺骨収集に力を注いだ。だが中国では慰霊などは許されず、雲南省では果たせなかった。遠藤さんは手帳を見る度、あの戦争と向き合い、部下に心を砕いた金泉さんの思いを感じる。「『国のために死んだ若い兵隊のことを忘れないでほしい』と託したのだと思う」生前には戦地でのことをこうも語った。「敵兵には何の恨みもない。相手にも家族がいる。命令だからやったけど。殺さなければ殺されるから。戦争なんて絶対やっちゃいけない」 手帳には「矜持」と題する文章がある。兵士の一人でも「旅の恥はかき捨て」などとおかしな考えをする者がいればそれは「聖戦」への冒涜だ、とした上で、「我々は常に皇軍の一分子であり日本人の一人であるという矜持を持たねばならない」と記されている。日本兵は戦地で何をしたのか。そしてどんな思いで戦ったのかー。遠藤さんは言う。「金泉さんのようにあの時代の軍隊教育を受けた兵士は死ぬこともいとわず、想像を絶するぐらい『真摯』に戦った。一方で残虐な行為もした。その両面を見ていかないと戦争の実相はわからない」。ボロボロの従軍手帳をみながら、改めてそう思う。(編集委員・大久保真紀)

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