8月14日 特攻の兄 残した声聞いて

朝日新聞2019年8月11日20面:「父よ、母よ」録音2分35秒 押し入れのトランクの中から見つかったレコード盤。そっと針を落とすと、懐かしい声が流れ始めた。「父よ、母よ、弟よ、妹よ。そして長い間育んでくれた町よ、学校よ、さようなら。ほんとうにありがとう」塚本悠策さん(84)=千葉県松戸市=が東京・田端で暮らしていた母親の遺品を整理していた、40年ほど前のことだ。「二度と聞くことはできないと思っていたのに・・」。声の主は兄の太郎さん。21歳で西太平洋に散り、遺体すら見つからなかった。太郎さんは慶応大生だった1943年12月、海軍に入隊。翌11年、ふらりと田端の実家へ帰省した。理由は語らなかったが、悠策さんは12歳年長の兄に会え、たくさんの料理が食卓に並ぶのがうれしかった。太郎さんはこの2ヵ月前、新兵器の搭乗員に志願した。激戦地ガダルカナル島から撤退するなど戦況が悪化するなか、事態を好転させる願いをこめて「回天」と名付けられた特攻兵器。1人乗りで操縦できるように魚雷を改造し、敵艦に搭乗員もろとも体当たりする「人間魚雷」だ。選考基準のひとつが「家庭に後顧の憂いがない者」。長男であることを理由に一度は却下されたが、「弟がいますからかまいません」と血書を書き、許可された。だがこれらはすべて、後でわかったことだ。太郎さんは帰省中に銀座へ。広告会社を経営していた父親のスタジオで、ひそかに肉声を残した。冒頭、家族との日々をよどみなく、淡々と振り返る。川遊びや夏祭り、兄弟げんかー。「僕はもっと、もっと、いつまでもみんなと一緒に楽しく暮らしたいんだ」。その後、語気が強くなり、内容も次第に勇ましくなっていく。「しかし僕はこんなに幸福な家族の一員である前に、日本人であることを忘れてはならないと思うんだ」「(開戦した)12月8日のあの瞬間から、我々青年は、余生の全てを祖国に捧ぐべき、輝かしき名誉を担ったのだ」。そして2分35秒の最後をこう結ぶ。「さようなら。元気でいきます」 帰省時に家族で撮った集合写真も残されている。太郎さんの横には、笑顔の悠策さん。これが最後と知っていたのは、太郎さんだけだった。45年1月8日。太郎さんは訓練基地があった山口県光市の基地にいた。そこで初対面の同窓生を訪ねる。「僕も慶応なんだ。明日出撃する」「そうか」。数分のやりとりの後、右手で握手して別れた。岩井忠正さん(99)=東京都武蔵野市=は、そのときの手の厚みを覚えていた。「この世とのつながりを、残しておきたかったのだろう」翌日、太郎さんは海軍少尉として、同県周南市の大津島かた西太平洋ウルシー環礁に向け、潜水艦で出撃。だが112人を乗せた潜水艦は消息不明となり、特攻予定だった1月21日が命日とされた。時を超え、再び聞いた兄の声。だがレコードはいずれ劣化して破損するかもしれない。その思った悠策さんはテープにダビングし、そのテープを回天記念館(周南市)などに寄贈。原盤は破損したが、音声はいまは電子データ化され、昨年5月に再生装置が記念館に設置された。回天作戦では訓練中の死なども含め、106人の搭乗員が死亡したが、現存する「最後の肉声」を、今は誰でも聞くことができる。その声を聞くと、家族思いだった兄の姿が浮かぶ。「戦争がなければ、違う人生があったはず」。そしてこう自問する。「自分はいまを精いっぱい生きているだろうか」。兄の声を聞いた人が、自分と同じ思いを共有してくれれば。そう願っている。(黒田壮吉)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る