7月21日 ミスターラグビーのみち(神戸市)

朝日新聞2019年7月20日be6面:平尾誠二が築いたレガシー 六甲山から大阪湾に注ぐ住吉川の堤防に立つと、神戸市東灘区の閑静な住宅街の向こうに人工島や大型船も見える。休日の河川敷はランナーや散歩する人たちでにぎわっていた。神戸を訪ねたのは、9月20日に開幕するラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会を前に、ミスターラグビーと呼ばれた平尾誠二をしのぶためだった。高校、大学、社会人で日本一に輝き、日本代表の主将、監督も務めた知将は近くの高台に住み、この河川敷もよく歩いた。歩きながらもの事を考えるタイプで、毎日のように散歩したという。自国で開くW杯に向けて、日本ラグビーの改革、強化をどう進めるか。日本ラグビー協会の理事だった平尾はこの川のほとりにたたずみ、そんなことを考えただろう。しかし、もう確かめることはできない。2016年10月20日、がんで亡くなった。53歳の若さだった。長男の昴大さん(25)に会った。平尾さんとよく散歩したそうだ。「家を出る前にゴルフクラブで素振りをするので、その音が聞こえたら出かける準備をして。公園でキャッチボールをしたり、父がキックしたラグビーボールを僕が取ったりしていました」。住吉川沿いにJR住吉駅近くまで2人で歩いたこともある。大阪市内の会社に勤める今は、休日になると、父と歩いた道をランニングし、公園内でダッシュして帰宅するという。「W杯日本大会の開催が近づいて、父は『これから、忙しくなるぞ』と話していました」と昴大さん。「W杯、見たかったでしょう」 12会場で20チームが戦うW杯。日本はロシア、アイルランド、サモア、スコットランドと1次リーグで当たり、決勝トーナメント進出を狙う。日本を率いるのはニュージーランド(NZ)出身のジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC=49歳)だ。1999年W杯では当時の代表監督の平尾に中核選手として抜擢され、桜のエンブレムを胸に戦った。引退後は指導者となり、南半球最高峰リーグで優勝するなど実績を上げた。15年の前回W杯で日本は、優勝候補の南アフリカに勝など1次リーグ3勝という過去最高の成績をおさめた。直後に退任したエディ・ジョーンズ前HC(現イングランド監督=59歳)の後任選びで、平尾らが推挙し、16年9月の就任に結びついたという。ジョセフHCは「メンター(指導者)として、いろいろ相談したかったが、できずに残念だ。今あるのも平尾さんのおかげ。光栄に思う一方、重大な責任を感じる」と話す。チームをグラウンドで引っ張るのは、前回W杯に続いてNZ出身のリーチマイケル主将(30)。実は、日本の主将に海外出身者を選んだもの平尾が最初だ。99年W杯の主将はNZ出身のアンドリュー・マコーミックさん(52)だった。その大会の日本代表選手だった岩渕健輔ラグビー協会専務理事(43)は、平尾の代表強化策について「海外ネットワークを駆使して情報を入手、分析して戦略を考えるなど、革新的な取り組みがあり、当時のスポーツ界を大きくリードしていた」と言う。しかし、日本は全敗し、平尾は翌00年、志半ばで代表監督を退いた。「やってきたことは間違っていない」。世界の強豪との差を、身をもって知る平尾は辞任後、周囲にそう話したという。 山中教授とともにW杯へ! 平尾は10年秋の雑誌の対談で、後にノーベル賞を受賞する山中伸弥・京都大教授(56)と運命的な出会いを果たす。大学時代にラグビーに親しんだ山中教授と意気投合。互いに尊敬し、刺激し合える友人として交流を深めた。今も平尾、山中家は家族ぐるみの付き合いを続けている。先月19日、昴大さんと山中教授らは大阪市内で会食した。山中教授は「ラグビーのこと、平尾さんのすごさについて話しました」と言う。前回W杯の直前、15年9月11日に山中教授は同じ店で平尾と会っていた。酒食を楽しんで帰宅した平尾は翌日未明に吐血。肝内胆管がんで余命3カ月と宣告される。平尾から病名を打ち明けられ、衝撃を受けた山中教授だが、免疫力を高めてがん細胞を排除する免疫療法や海外での治療など、あらゆる方法で快復を目指す決意を固めた。平尾と山中教授は免疫療法の新薬治験の道を探った。その間も、平尾は病を伏せ、神戸製鋼ラグビー部ゼネラルマネジャーとして仕事を続けた。10月27日には当時のbeの連載「逆風満帆」の取材にも応じている。逆境に屈せず、前を向く人を描く企画だ。平尾の「逆風」は、00年の代表監督辞任のほか、大学卒業後に英国留学していた85年夏の「アマチュアリズム規程違反問題」があった。雑誌に「モデル」として登場し、当時のラグビー界の規定に抵触したとして、代表から外された。ラグビーをやめるのか? 結論は、帰国して神戸製鋼でプレーするというものだった。ラグビーの借りはラグビーで返す。その通り、平尾が主将となった神戸製鋼は89年1月に日本選手権で初優勝。7連覇が始まる。「逆風満帆」の取材に記者も立ち会っていた。思えば、免疫療法の治療を受けることが決まった時期に当たる。平尾はその時、「逆風を感じたことはない。自分にしか経験できないことだと思えるから」と語っていた。がんを抱えた不屈のラガーが複雑な心境を吐露していたのかと今ごろ気づく。平尾の闘病は抗がん剤治療も含めて13カ月に及んだ。ぶれずに闘った平尾をサポートし続けた山中教授は「最後まで立派だった」と振り返る。今年1月、平尾は神戸の街並みを見下ろす墓地で納骨を終えた。墓石には平尾の自筆で「自由自在」と刻まれている。変化に柔軟に対応していく創造性豊かなラグビーを自由自在に楽しむ。平尾の生き方にも通じる言葉だろう。墓前に座し、全力で駆け抜けた人生に思いをはせた。闘病中の平尾は、家族に付き添われて自宅近くを散歩するようになった。日本が3勝をあげた前回W杯期間中のある日、すれ違う近所の人から「日本強いですね!」などと話かけられると、笑顔でこたえていたという。W杯日本大会は2カ月後に始まる。平尾家と山中教授夫婦はともに、日本代表をスタンドから応援する予定だ。ミスターラグビーと一緒に。(文・冨田悦央、写真・細川卓)

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