7月19日 香港「1.2」

朝日新聞2019年7月16日夕刊9面:中国本土で「本土」じゃない。歴史は? 犯罪容疑者の身柄を中国程へ送ることを可能にする「逃亡犯条例」改正案をめぐり香港で大規模な抗議行動が起きた。「一国二制度」の下、中国の領土でありながら中国本土とは違うのが香港。その性格を維持できるかどうかが問われている。そうした独特の空間が形成された歴史をたどってみよう。清朝とのアヘン戦争に勝利した英国が1842年の南京条約で香港島を獲得したのが香港開港の始まりだ。当時の島の人口は数千人規模。辺境の漁村だった。さらに英国は、60年に島の対岸の九竜地区の割譲を受け、98年にはその北側の新界地区と周辺の島々を99年間租借した。こうして英領植民地・香港は3段階を経て拡大した。英国人らはここに瞬く間に貿易拠点を築いた。後に軽工業などを手がける華人系企業も発展した。第2次大戦中の1941年に日本が占領。45年の戦争終結で英国統治に戻る。49年に毛沢東らが建国した新中国(中華人民共和国)は香港の返還を直ちには求めなかった。中英は50年にいち早く国交を結び、香港は英植民地としての状態が維持された。当時の香港には中国系の銀行や商社もあり、対外開放前だった中国にとっても大事な貿易の窓口だったのだ。やがて問題になったのは、99年間の措借という形になっていた新界だ。租借期限の97年以降の帰属がどうなるかわからないため不動産向けの長期融資ができず、経済活動に支障が出てきた。そこで英国は新界の租借継続を持ちかけたが、中国は香港島と九竜を合わせた3地区一括の祖国復帰を主張した。実際、香港は手狭となった香港島と九竜から新界へと開発が広がって一体化しており、中国の強い求めを英国はのまざるを得なくなっていった。ただ、中国にとっても巨大経済都市となった香港は大事だ。最高権力者の鄧小平は、香港での投資家の利益が損なわれることはないと英国に約束した。同じころ中国では、彼岸の台湾の平和的統一を目指して「統一後も現行の経済・社会制度を維持する」という「一国二制度」構想が浮上。これが香港に対する方針に適用され、台湾統一の先行事例と見なされた。最終的に香港返還交渉は84年に決着をみた。植民地統治を通じ、英国は市民の自由を保障したが、政治参加は制度化しなかった。ところが返還が日程に上ると英国は区議会を設置して選挙も導入するなど、民主化の種をまき始め、中国と対立した。矛盾をはらみながら97年7月1日、香港は返還された。外交と国防は中国政府が責任を負うという決まりに従い、中国軍が香港に進駐したが、中国本土と異なる法制度の下、独立した経済体として通貨香港ドルはそのまま維持されている。ただ、この一国二制度が約束されたのは2047年までの50年間。その後のことは決まっていない。ここに香港市民の根本的な不安がある。(村上太輝夫)
朝日新聞2019年7月17日夕刊7面:97年の返還後 中国との関係は? 1997年7月1日に中国に返還された香港。祝賀ムードにわく香港を待ち受けていたのは試練の道だった。返還翌日の2日のタイを皮切りとしたアジア通貨危機が同年秋には香港に飛び火し、株価や不動産価格が暴落した。この時、中国政府は目立った動きを見せなかった。香港の高度な自治を保障する「一国二制度」が始まったなかり。中国の介入で、言論や集会などの自由が制限されかねないとの不安を抱く香港市民を安心させ、国際社会には一国二制度を順守する姿をアピールする必要があったためだ。方針を転換したのは03年だ。香港で新型肺炎SARSが流行し、経済への影響が深刻化した。そんな折、香港政府は根強い市民の反対を押し切って、国家の分裂などにつながる動きを禁じた「国家安全条例案」の立法化を強行しようとした。50万人が参加したとされる大規模な抗議デモも起き、条例案は廃案に追い込まれた。香港の混乱を見かねた中国政府は、中国本土から香港への個人旅行の解禁などの経済支援に着手して。景気が回復し市民の暮らしが改善されれば、政治も安定し中国への好感度が高まると期待したからだ。こうした政策は功を奏し、経済を中心に中国とのつながりが強まるにつれて香港市民の意識も変わっていった。08年5月の四川大地震では、「同胞」を助けたいという香港市民の愛国心が高まり、世論調査では自分を「中国人」と認識する人が50%を超えた。だが、こうした「蜜月」は長続きしなかった。このころから、急増した中国人観光客のマナーの悪さに対する批判が目立ち始め、中国人が香港の土地を買いあさったあおりで負動産も高騰。一般市民にはマイホームが高嶺の花となるほど、不満が出だ。香港では返還後の「憲法」とも言われる香港基本法に基づき、政府トップの行政長官を選ぶ選挙も民主化を求める運動も続いてきた。しかし、中国は親中派に有利な選挙制を大きく変えようとはしなかった。香港市民の不信と不満が強まるなかで起きたのが、14年の「雨傘運動」だ。若者らが香港の中心部を79日間にわたって占拠。民主選挙実現の要求は受け入れられないまま警察に強制排除されたが、これを機に中国からの独立を訴える勢力が台頭するなど、香港と中国の間に深い溝を残した。その後中国は中国本土と香港を結ぶ大橋や高速鉄道を完成させるなど経済的な結びつきを強めようとしているが、市民の対中感情の改善に結びついていない。今年2月、刑事事件の容疑者の中国への引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案が提案されると、一国二制度が骨抜きにされるとの危機感が広がった。抗議は親中派の多い経済界も巻き込み、主催者八ぴぉうで100万人を超す大規模なデモに発展した。6月の世論調査では、自分を「中国人」と答えた人は23%と返還後、最低を記録した。(益満雄一郎)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る