7日 又吉直樹のいつか見る風景

朝日新聞2017年8月5日Be4面:傾いた机を滑る味噌汁 熱がる次姉、大笑いする父 吉見百穴(埼玉県吉見町)電車の車窓から夜の街を眺めていると、灯りの一つ一つに生活があるという当然のことに感動することがある。一人で暮らす部屋もあれば、家族が暮らす部屋もある。恋人同士が一緒に暮らしはじめたばかりの部屋もあるだろうし、大切な人が出ていったあとの部屋もあるだろう。
灯りの数だけ誰かがまだ起きていて、なにか活動をしているのだ。灯りが消えている部屋だって、誰かが眠っていたり、もの思いに耽っていたりするのだろう。子供の頃、狭い部屋に家族五人が揃って食事をとったことをたまに思い出す。父親が不在の時は母や姉達と落ち着いて話せるので、それはそれで心地良かったが、父もそこにいて家族全員が揃った時の、あの妙な安心感はなんだったのだろう?
灯りの下に生活 父親はイカの刺し身を食べながら、野球中継を見ている。台所から揚げ物の油がパチパチと音を立てているのが聞こえる。机の脚が一本折れていてガムテープでグルグル巻きにしてある。食事が机に並ぶと、母もこそに座る。机の一角に重たいものが並びすぎたのが次姉が座っていた机の脚が折れて、食べ物がすべて次姉の方に流れる。味噌汁がかかった次姉が熱がり、僕は呆然としていて、母と長姉が慌てて立ち上がり、父が一人で大笑いしている。次姉は笑われたことを怒り、父は「こういう時って、ほんまにスローモーションになるんやな」と嬉しそうに話していた。そのような生活があらゆる空間にあると思うと、すべての灯りが愛しくなる。
子規は見ていた 埼玉県吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群の移籍を歩いた。横穴のなかは、それぞれ違いはあるが3畳程の空間がひろがっていた。横穴の入り口に重くて大きな石が置かれていたことなどから、現在ではお墓だったとされているが、発見された当初はコロボックルの住居だったのではと考える人もいたそうだ。俳人の正岡子規は吉見百穴を訪れて、次のような句を詠んでいる。 神の代はかくやありけん冬籠 子規
横穴の一つ一つにコロボックルの夫婦や家族が住んでいる光景を想像できるたことを羨ましく思う。横穴の住居のなかで冬の寒さを避けて春を待つ。「春になったらなにをして遊ぼうか?」と母コロボックルが囁く。「梅が見たい」と子コロボックルが答える。「花見は混雑するぞ」と父コロボックルが言う。そして、ゆっくりと春の夢を見ながら家族は揃って睡眠状態に入っていく。いや、花見が混雑するのは現代だけかもしれない。子規はどのようにコロボックルの生活を想像しただろう。過酷なものとみたか、楽しいものとみたか。そこには、おのずと自身の経験が反映されたことだろう。
雅号の「子規」とはホトトギスの異称で、中国の伝説に「血を吐くまで鳴いたからホトトギスのくちばしは赤い」というような話があり、そこに結核のため喀血した自分を重ねて名付けたそうだ。そう考えると、横穴のなかで長い冬を耐えるコロボックルの感情や、春になり世界を自由に動ける解放感は決してよそ事では無かっただろう。というのは考え過ぎだろうか。
吉見百穴の下には、太平洋戦争中に地下軍儒工場を建設するために掘られた大きなトンネルが残っている。全国から集められた3千人以上の労働者によって短い期間で掘られたそうだ。その巨大な穴から想像される光景は過酷な労働そのものだ。我々は様々な事象に触れて、なにかを想像することができる。街の灯りで人々ンの生活を想い、吉見百穴でコロボックルの営みや古代の理葬に想いをめぐらせる。そして、トンネルを見て過酷な労働を。僕が訪れたのは暑い夏の日だっだが、軍需工場跡の穴からは涼しい風が吹き続けていた。(芥川作家・お笑い芸人)

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