7日 仰げば尊し【2】

朝日新聞2017年5月4日4面:DV・離婚・・27歳、IT業界へ 中学校を卒業した久田真紀子(42)は、お水の道をまっしぐら。稼いだカネを湯水のごとく使った。けれど、わが世の春はまもなく終わる。不動産などの常連客が、つけを払わずに逃げたのだ。
世の中は「バブル崩壊」と言っている。何なの、それ? 久田には理解不能。だが、店への穴埋めをしなくてはならない。服などを売って工面した。ホステスの競争がきびしい銀座はこりごり、新宿の歌舞伎町にうつる。すこし頑張ったら、すぐナンバー1になれた。けれど、久田から、本物の笑顔が消えた。ナンバー1死守の重圧がのしかかったのだ。心療内科をハシゴし、処方された薬を一気に飲む、その時だけが幸せだった。
もっと幸せになりたくて25歳で結婚。だが、大阪での新婚生活は無残だった。夫からの言葉の暴力でガリガリにやせ細る。警察の助けを借り、命からがら26歳で離婚。東京の母を頼る。でも、ずっと会っていなかった娘に、「おカネ、貸して」とせびってきた。
その年2001年の9月11日、アメリカで同時多発テロがおこった。冬、姉から国際電話があった。「こっちに遊びに来ない? 飛行機はガラガラだから、だれの目線も気にならないよ」。姉は、働いてためた資金で渡米、勉強し、外科医になっていた。
シアトルの空港で、姉の米国人の夫と子どもたちが迎えてくれた。姉の病院に行く。手術室から出てきた姉を、久田は直視できなかった。まぶしすぎた。
3カ月間、家に置いてもらった。姉は、連日、早朝から深夜までの過酷な勤務をしていた。ある日、帰ってきた姉の目が赤かった。明らかに泣いていた。「お帰り」と声をかけたが、姉は台所に消えた。
姉が自分に言い聞かせる声が聞こえてきた。「こんなことで死んだら、命はいくつあっても足りない」きつい勤務、人の命、そして日本人への差別に向き合う姉が、外科医を続けるための念仏だ。そう久田は思い、自分を恥じた。<せめて、人に迷惑をかけずに生きよう>
帰国し、金融関係の仕事をしていた。ソフトウェアの「CSK」(現SCSK)のグループ会社役員に、呼び出された。新宿時代の初めての客で、久田は彼を「師匠」と呼ぶ。師匠は言う。「うちは、第三者検証をしている」。久田は、うっちゃる。「現場検証?」。何度も同じ話をするので、まじめに聞いてみた。
師匠は力説した。世の中のすべてがソフトで動く時代になる。欠陥の有無を中立的な第三者が検証し、メーカーに直させる必要がある。消費者の目線、女性の目線がほしいー。
久田は反射的に言った。「その仕事、したい」 02年、久田27歳の秋、師匠の会社に入った。中学もろくに行っていないので、読めない漢字だらけ、IT用語はちんぷんかんぷん。なのに、大企業への営業に放り出された。
「ITを知らないのに営業なんて無理だよ」 2カ月たったころ、超有名メーカーに「10億円かけてつくったシステムが動かない」と相談された。メーカーの人たちは困り果てていた。会社に持ち帰って相談した。超難問だったので、無理、無理、ぜったい無理の大合唱。<困っている人がいるんだぞ。手をさしのべないでどうするんだ?>
=敬称略  (編集委員・中島隆)

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