6月14日 サザエさんをさがして 流し

朝日新聞2019年6月8日be3面:出会いつなぐ昭和の輝き アコーディオンお抱えた流しが慣れた感じで小料理屋に入ってきて、初老のカップルの前で愛の歌を披露するとー。「きっとこの後、お店の人が流しの男性に『ごめん』って目配せしていますよ」 東京・四谷荒木町で流しを続けている歌う漫画家・ちえさんが想像する5コマ目だ。「流しの仕事で必要なのはまず気配り。お店とは共存共栄なので、勝手に歌うなんてことはありません」たしかに2コメ目を見ると店の人が合図を送っている。「離婚相談中」の無言を、いい雰囲気で飲んでいると勘違いしたのだろうか。漫画が掲載された1969年以前から酒場に通っていた先輩方を除けば、流しの歌声や演奏を聴いたことがある人はそう多くはないはずだ。ちえさんも、流しの師匠である新太郎さん(2017年に75歳で死去)と12年に出会うまで、映画しか見たことがなかった。師匠の新太郎さんは、15歳のころから流しを始め、昭和の酒場の生き証人だった。漫画家の東陽片岡さんが引き合わせてくれて、弟子にしてもらった。師匠とともに歩きながら、流しがスターだった黄金時代の話も聞いた。全国に数千人の流しがいて、師匠も風に吹かれるままに、あちこちの地方の繁華街を訪ねては歌っていた。カラオケブームが来るまでは歌を聴きたいという客がほとんどで、3千曲のレパートリーから求められるままにのどを披露した。
客が自ら歌うときに求められた伴奏は、軍歌ばかり。今は、さまざまな曲が求められ、みんなうなくなった。かつては北島三郎や渥美二郎のように、流しを経験した後に演歌歌手とし大成する人も多かった。師匠にも芸能界からの誘いはあった。しかし、自由にさすらう歌い手という立ち位置が何より好きだった。ちえさんも、師匠と志は同じだ。ラジオ番組などに出演し、ライブを開き、シンガーソングライターの小椋佳に楽曲を提供されたミニアルバムをこの夏に発売することになっても、活動は常に四谷荒木町を中心にと考えている。「町が一つの家族だとしたら、娘が外で活躍したら親戚中で喜んでくれる。でも、いつまでも家族は家族で離れたくない」バブル景気とその崩壊などを経て、全国の繁華街も変わった。きれいなチェーン店が増えると、流しが入れない店も増える。四谷荒木町は都心の真ん中では例外的に取り残されたような飲み屋街だ。
師匠とともに歩いた5年間のおかげで、ふらりと入れるなじみの店は30軒ほどある。ちえさんの場合は、2曲で千円。似顔絵は1人千円。予約も受けつけ、午後7時ごろから毎晩のように、四谷荒木町を回る。歌を聞かせたり、伴奏をしたり、漫画の技術を生かして似顔絵を描いたりもする。この5月の大型連休では大阪から博多、佐賀、長崎と流しの旅をした。まず知り合いのスナックを訪ね、そこで知り合った人に次の店を紹介してもらい、意気投合した人に別の店を教えてもらい・・。出会いがつながり、人の縁が広がっていく。いま思うと、師匠は流しの本質を「出会い」だと見抜いていた。流しが立ち寄る飲み屋がある街、それはきっといい街だ。(加藤修)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

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