6日 患者を生きる 永六輔の大往生【1】

朝日新聞2017年4月3日27面:僕の状態、そんな悪いの? 永六輔さんの長女でエッセイストの千絵さん(58)のもとに、父親から珍しく電話がきたのは2010年11月17日の夜だった。
「僕、今、どこにいると思う? 実はね、救急車に乗ってるの」 千絵さんは驚いて、「どうしたの?」と問いかけた。 永さんは東京都内でタクシー乗車中に衝突事故に遭い、警察官に「大丈夫」と伝えたものの、救急車を呼ばれたという。弾んだ声で話す永さんは、初めて救急車に乗るのを楽しんでいるようだった。
搬送先の病院で頭部などの検査を受けたが異常はなく、その日のうちに帰宅できた。当時、パーソナリティーを務めていたラジオ番組でもこの経験を話題にした。
「事故に遭ってから、パーキンソン病の症状がよくなったって言われるんです」患っていた自身の病気と絡めて、笑いを誘った。 永さんは08年ごろから、足のすくみや字の書きづらさ、箸の持ちにくさを感じるようになっていた。ろれつが回らなくなり、リスナーから「声が聴きづらい」というはがきが届いた。
事故の1カ月ほど前、荏原病院(東京都大田区)神経内科を受診し、横地正之医師(75)=現在は国際医療福祉大学三田病院=にパーキンソン病と診断された。
薬を飲み始めると、言葉がなめらかになり、字もふつうに書けるようになった。歩く時に、体が前のめりになって足が小刻みに出てしまう「突進歩行」も改善した。
横地さんからは「歩くことはいいことです。ただ、店頭にはくれぐれも注意を」と言われていた。
◇           ◇
「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」の作詞で知られ、1994年には自らの死生観を記した「大往生」(岩波新書)がベストセラーになるほど、多方面で活躍した永さんは83歳だった昨年7月、自宅で亡くなった。
ラジオ番組の中で、前立腺がんでホルモン治療を受けていることや、パーキンソン病であることを公表した。
永さんは「大往生」の中で、自身に宛てた「弔辞」として、こう記している。<旅暮らしの中で、一番好きな旅はと聞かれ、「我家への帰り道」と答えた永さんです> 千絵さんは、病気になっても、父はできるだけ家で過ごしたいと思うだろうと考えていた。
◇           ◇
永さんが再び救急車に乗ることになったのは、事故から約1年後の11年11月。自宅で転び、足の付け根にある「大腿骨頸部」を骨折した。高齢者の骨折で最も多い場所で、寝たきりの原因にもなりやすい。運ばれた病院に入院することになった。
入院中、「せん妄」が出た。認知機能に異常がないのに、意識がもうろうとして、意味が通らないことを口にする症状だ。高齢者が入院した時などにしばしばみられる。
足の骨が折れているのに「はいっ。帰ります!」と突然言いだし、ベットから立ち上がろうとした。用もないのに、ナースコールを繰り返したこともあった。約2カ月後に退院すると、仕事で外出する際は、車椅子を使うようになった。千絵さんは、ひとり暮らしをする永さんに朝食を食べさせるため、毎朝、実家へ通い始めた。食事は、妹でフリーアナウンサーの麻理さん(55)が作り置きしておいてくれた。
午前8時すぎに千絵さんが実家に着くと、永さんはリビングでテレビを眺めていることが多かった。「おはよう」と声をかけると、永さんは「大丈夫だから、来なくてもいいよ」と娘を気遣った。
千絵さんが食卓に朝食を並べながら「薬を飲んだから、ちゃんと食べて」と頼むと、しぶしぶ席についた。
14年には背骨の圧迫骨折もわかり、次第に家の中の移動にも家具につかまらないと、難しくなった。
その年の夏、千絵さんは家族のほかに、父の面倒を見てくれる人を探そうと考えた。ただ、見ず知らずの人を家に入れるのはためらわれた。「『永六輔は、家でこんなによぼよぼのおじいさんなのか』と驚かれるだろうな」と想像すると、踏み切れなった。
浮かんだのは、02年に永さんの妻の昌子さん(当時68)をがんでみとった際、訪問看護をしてもらった鈴木紀子さん(65)だった。鈴木さんがあいさつに訪れると、永さんは不安そうにこう尋ねた。
「僕ってもう、そんなに悪い状態なの?」 鈴木さんの登場は、妻の時と同じように、最期が近いにかと感じたようだった。(宮島祐美)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る