5月25日 旅芝居を歩く「2」

朝日新聞2019年5月21日夕刊9面:理屈じゃない見て、盗め 上下関係が厳しく、指導も厳しいのが旅芝居の政界である。以前、東京の有名な劇団の稽古場をのぞいたことがあったが、座長は若手に罵声を浴びせていた。「この、ばかやろうがっ!」ひとつ間違えば大けがしかねない殺陣のシーン。理屈を超えた指導と言っていいかもしれない。そのときの様子を香川県宇多津町の「瀬戸大橋 四国健康村」で出会った「剣戟はる駒座」の総座長、津川竜(49)に伝えると厳しい顔でこんな答えが返ってきた。「いまならパワハラだと訴えられかねな。たしかに体罰はいけないけど、常識はずれの稽古にもまれにお陰で、僕たちは一人前の役者になれたんだと思います」 「はる駒座」には、津川の義父にあたるベテラン、勝龍治(76)がいる。座長になったのは14歳のとき。一人前と見なされ、劇団幹部からの指導は容赦がなかったという。「セリフが早い」「間がおかしい」。芝居の最中でもお構いなく注文をつけてきたそうだ。
公演が終わったあと、頭を床にこすりつけて先輩に教えを請うた。答えは「見て、盗め」の一点張り。「手取り足取り教えてくれるような教科書はないんです」と勝は言う。だが長い歳月を経て、芸の奥行きと深みが出るようになった。無駄な動きをそぎ落としたしぐさ、抑揚の効いたせりふ回し、舞台映えする型・・。「自分の一生懸命に観察して身につけた方がいいんです」 大衆演劇評論家の橋本正樹(72)によると、伝統と格式を重んじる歌舞伎が「大芝居」として芸能の中心となったのに対し、寺社の境内などで小屋掛けをした旅芝居は「小芝居」と呼ばれた。明治以降は、壮烈な殺陣で人気を博した「新国劇」や、浪曲を地に使う芝居「節劇」の影響も受けたため、思い入れたっぷりの演技が目立つようになった。それにしても時代の変化なのか、昔は当たり前と思われたことがいまの社会では受け入れがたくなっている。たとえば、旅芝居に出てくる主人公。腕っぷしの強さと度胸の良さで関東一円にその名をとどろかせた江戸後期の侠客・国定忠治もそうである。生まれ故郷の群馬県伊勢崎市では2010年、生誕200年イベントが見送られた。
「やくざ者を称賛することになる」が理由だ。たしかにお上からすれば許されざる存在、アウトロー。だが、義理人情に厚く、天保の大飢饉の際は私財をなげうって貧民を救ったと伝わる。強きを挫き、弱きを助けた人物でもある。「記憶の闇に完全に葬り去ることはできない『反権力』『反体制』の象徴として芝居の中で語り継がれていったのではないか」。江戸時代の侠客を研究している国立歴史民俗博物館名誉教授の高橋敏(79)は語る。赤城の山も今宵限り、可愛い子分の手めえ達とも、別れ別れになる首途だ・・(「アウトロー近世遊侠列伝」)三度笠をかぶって、旅路に出る忠治が目に浮かぶ。いよっ、親分、日本一! =敬称略(小泉信一)

 

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