5月22日 私の視点×3

朝日新聞2019年5月18日15面:キャッシュレス手数料 メリット享受の側が負担を 株式会社「旅籠屋」代表取締役 甲斐真 オーストラリアに滞在中、クレジットカードで買い物をしようとしたら、手数料の負担を求められた。現金なら表示通り100㌦だが、カード払いなら数㌦高くなる、というわけだ。初めての経験だったので驚き戸惑ったが、調べてみると、一部の国や地域で、クレジットカード利用客にサーチャージ(手数料)を取ることが認められているようだ。考えてみれば、ごく自然で理にかなったシステムではないだろうか。カードを使えば、利用者には現金を持ち歩かなくてよい、引き落としが先になるのでやりくりできる、ポイントがたまる、などのメリットがある。だから、手数料の上乗せを求められる根拠がある。もし、手数料がイヤだと思うならば、現金払いを選べばよいだけのことだ。ところが、日本では利用者の多くが、現金払いとカード払いの値段が同じなのはごく当然だ、と思っている。手数料は通常、店舗が負担しているから、利用者はその存在さえしらないことが多く、同じ料金であることを不思議に思わないのだ。私たちの会社は、素泊まりのミニホテルを全国70カ所に展開しているが、高速道路のSA内の1店舗を除いてカード払いを受け付けておらず、現金のみである。「世の流れはキャッシュレス。現金のみのチェーンなんてありません。お客様が離れていきますよ」と何度も加入を勧められるが、3%前後の手数料は利益の半分近くに相当し、薄利な商売ではとても耐えられる金額ではない。それ以前に、手数料が下がったり、売り上げ増で負担割合が軽くなったとしても、方針を変えるつもりはない。なぜなら、費用はメリットを享受享するものが負担すべきだと考えるからである。日本は治安が良く、偽札も極めて少ないため、店舗側の利点は少ないし、現金化が遅れるデメリットも無視できない。「価格」は「価値」に対応するという原則をあいまいにすべきではない。今、世の中は政府の方針もあって「キャッシュレス化推進」の声で満ちている。外国に比べて遅れているとか、海外から訪れる客の増加を妨げているのでは、という点が強調されている。ますます手数料への疑問は置き去りにされ、「現金のみ」派には厳しい環境になってきそうだ。そこでカード会社に、利用者が手数料を自己負担することを選べるカードの新設を提案したが、「なんなの無理ですよ」と一蹴されてしまった。私は、カード利用の手数料に払うお金があるなら、施設の改善やサービスの充実に充てるほうがいいと思っている。キャッシュレス化時代、道理のわかる賢い消費者に鍛えられながら成長したいと願う企業は、流れに取り残されていくのだろうか。
日本の人権状況 独立した人権機関 必要では フェリス女学院大学名誉教授 馬橋憲男
 日本の人権状況への国際的な評価がますます厳しくなっている。例えば、国会議員に占める女性の割合は193カ国中165位、男女平等度が149カ国中110位だ。国連の世界幸福度は58位。日産自動車のカルロス・ゴーン前会長の長期拘留にも「人質司法」と批判が強い。ニュースのたびに、「日本は本当に先進民主国?」と疑問の声が上がる。だが「日本独自の人権がある」とうやむやにされ、忘れ去られ、より国際評価が厳しくなるー。この繰り返しではないだろうか。人権はすべてのひとに保障される普遍的な権利なので、各国は世界共通の基準を設けて保護・促進にあたる。その基準は、市民的権利や政治的権利、女性、障害者の権利、人種差別や拷問の禁止など、国際人権条約で定めたあらゆる人権が対象だ。政府がこの世界基準を守っているかを国連が定期的に審査し、改善に向けて必要な勧告を行っている。この審査の基本となるのは「締約国報告書」で、政府は作成時に市民やNGOと幅広く意見交換し、報告書に反映するように求められている。外務省のホームページの「人権外交」にしれが掲載されているが、どれだけの国民が知っていようか。国連審査で政府は毎回、その結果を広く国民に伝えるよう勧告されるが、一向に改善しない。マスコミも審査結果だけでなく、政府が国連勧告をどの程度実施したのか、NGOの意見が政府報告書にどう反映されたか、政府とNGOの意見はどう異なるのかなどを、詳細に伝えて欲しい。こうした情報の積極的な公開と国民参加を促すため、多くの国には、国連決議に基づき「国家人権機関」(National Human Rights Institution)がある。政府から独立して中立公正を大前提とし、そのために国際的な審査を受ける。政府報告書の内容が偽りだったり、国民の認識とずれたりしては、審査に実効性を期待できない。そこで国家人権機関は、政府が条約を守っているか、前回の勧告をどの程度履行したかなどを独自に評価し、自国への勧告を含む報告書を国連へ提出する。この報告書が審査で最も重要な情報源となっている。国家人権機関は、国連審査だけでなく、差別、子どものいじめなど人権侵害の調査、人権教育でも中心になる。また政府が経済社会政策を作る段階で、人権の観点から意見や勧告を行うことも大切な役目だ。いまや主要先進国(G7)で、国家人権機関を設置していないのは日本と米国だけ。政府から独立していて権力者の意向を忖度せず、中立公正で国民が真に信頼できる人権機関がいま、日本では必要ではないか。
教育の格差是正「結果の平等」視点持って 教育学者・東京外国語大学教授 岡田昭人 大学医学部での不正入試が相次いで発覚したことは、記憶に新しい。卒業生の子どもなどに加点する一方で、女子や浪人生が不利になるような点数操作がされていた。求められるのは、教育における「結果の平等」という観点からの対策だろう。教育における「機会の平等」とは、教育を受ける機会が人種や性別、経済的地位などにかかわりなくすべての人に開かれていることだ。
それに対し「結果の平等」とは、機会の平等が保障されたとしても少数民族や女性など歴史的、構造的に差別されてきた人々とそうでない人々との間には教育格差が生じるため、前者に対して何らかの優遇処置をとることをさす。スタートではなく、ゴールにおける平等である。米国で1960年代から導入された「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」は、結果の平等を図ろうとした一例である。能力のある人種的少数派の学生などに対して、大学入試で特別な合格枠を設けたり、合格基準を低く設定したりするなどの優遇措置がとられた。英国では、貧困地区にある学校に優秀な教師を派遣し、学習環境を改善するなどの施策も導入された。それに比べると日本では、「結果の平等」を重視する意味はまだ広がっていない。背景には、教育達成を各人の努力の結果とみなし、生まれ育った環境など本人以外の要因のせいにすることを問題視する精神土壌がある。「結果の平等」の視点が後退してしまいがちなのである。
だが近年、日本で教育格差が拡大していることが明らかになっている。教育格差が放置されれば、社会は不安定化していく。教育結果の「バランス」を均衡させる施策を導入していくべきだろう。たとえば医学部入試はもともと、裕福な層に有利な状況になっている。それを踏まえて、不利な状況にある人々に対しては合格基準を緩めたり、給付型奨学金の額を上げたりするなどの措置を導入していくべきだ。男女間の平等への取り組みとしては、医学部や理工系、医学生命科学系学部に関心を持つ女性志願者に受験を積極的に推奨することを提唱したい。過去の女性入学者が少なかったことを理由に受験・進学を躊躇する必要がないことを、進路指導の中で明確にしなければならない。これらの学部を持つ大学を中心に、学長や理事、学部長などの上級職に女性を積極的に起用することも望まれる。女性の比率が十分な水準に達するまでの間は、暫定的に女性枠を設けることも必要である。固定的な男女二分論を突き崩すことを通じて、個々人が自らの意思で進路を選択し、能力を発揮できる社会へ近づいていくべきである。

 

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