5月22日 抱きしめて看取る「4」

朝日新聞2019年5月18日be4面:残された妻へ「もう一人の家族」 日本看取り士会会長 柴田久美子さん 1952年、島根県生まれ。離島で「看取りの家」を開いた後、「日本看取りの会」設立。著書に『私は、看取り士。』など。制作に関わった映画「みとりし」は、今秋公開予定。 今回紹介する方は、新聞記者の吉岡逸夫さん(享年66)です。彼とは2013年の取材で出会いました。私たちの活動を取材した後、「柴田さん、自分が死ぬときは看取って下さいね」と言っておられました。それが数年後、現実のものになってしまいます。17年5月、人間ドッグ後の精密検査で、膵臓がんに侵されていることがわかりました。奥様とは元々同僚でした。吉岡さんご夫婦は、新聞記者らしく様々な情報を収集、最善の治療法を探したといいます。ビタミンC点滴を受けた後、東京都内の病院で放射線治療と抗がん剤治療に切り替えました。その年の10月、東京駅そばの書店にある喫茶店で、妻の詠美子さん(51)と3人で会いました。逸夫さんが、おいしそうにパスタを召し上がっている姿が、いまでも印象に残っています。ところが翌18年1月、彼からメールが届きます。「肝臓に転移していると診断された。緩和治療に入りたいので、一度会いたい」。私は2月8日、千葉県のご自宅に伺いました。一時は痛みがひどかったようですが、モルヒネが効いてきて、穏やかな顔をされていました。逸夫さんは、ご自身の数十冊の著書を手にとって、取材時のエピソードを1時間ほど冗舌に語ってくれました。「多くの人が僕のために来てくれて、幸せだよ」。彼は、ベッドの上で笑顔を見せました。その5日後、静かに旅立ちました。
亡くなられた後、私はお悔みにご自宅を訪ねました。詠美子さんは「抱きしめて看取ることができなかった」と悔やんでいました。朝、気づいたときには、既に息を引き取っていたそうです。でも聞くと、その晩は詠美子さんは添い寝をしていた、というのです。私は、こう応じました。「添い寝していたのだから、ご主人のエネルギーをもらっていますよ。最後の姿を見せて動揺させたくない、と思ったのですよ」病床の逸夫さんが詠美子さんに語りかけた言葉で、印象に残っているものがあります。「柴田さんは、もう一人の家族だからね」です。亡くなった後、この言葉には、すごい優しさが詰まっていることに気づきました。「僕がいなくなっても、柴田さんが家族として存在するんだよ」。残される奥さんを、本当に大切に思っていたのでしょう。逸夫さんが亡くなった後、詠美子さんは、沖縄に移住しました。私は彼女とたまにメールのやりとりをするのですが、現地の写真が添付されていて、生活を楽しんでいらっしゃる様子が伝わってきます。これからも私は、詠美子さんにとっての「もう一人の家族」であり続けます。(構成・佐藤陽)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

ご予約・お問い合わせはお気軽に

Tel0120-740-276

〒352-0011 埼玉県新座市野火止8-14-29

ページトップへ戻る