3日 人生の贈りもの 和田アキ子【4】

朝日新聞2017年6月1日27面:歌う女番長アコ 17歳で転機 家出しても、寝る場所も食べる場所にも困りませんでした。友だちの家や安ホテルを転々としていたんです。むしろ「日本一の女ヤクザになったる」と本気で思っていた。中途半端なことは大嫌いな性格なんですよ。
当時、大阪の「西成」という地区に入れ墨の筋彫りをする名人がいて、私としては背中に観音様を入れてほしいという気持ちでいっぱいでした。藤純子さんが演じたような任侠映画の渡世人にあこがれていて。でも当時のお金で38万円だったかなあ。私が考えていた以上のお金。いまなら100万円以上? とても工面できないのでやめました。
≪子分と言っても、年上の男性ばかり。それが何人も徒党を組んで従う。道頓堀を肩で風を切って歩いていた。けんかは日常茶飯事。バリバリの女番長アコである≫ その一方で、ジャズ喫茶やダンスホール、ゴーゴー喫茶やキャバレーに飛び込んでは「歌わして。うち歌いたいねん」と頼み、お金を稼いでいましたね。
バーテンダーのクニやんに出会ったのは15歳くらいのころかな。本名を知らないのでクニやんとしか言えない。年齢は30歳くらいでした。ほれぼれするくらい格好良く、私の話をいつも黙って静かに聞いてくれるのです。
独立して「ケネディハウス」という名前の店を開いていました。クニやんはケネディ米大統領の大ファン。私も「アメリカってええなあ。どんな人でも差別されずに暮らせる素晴らしい国なんや」と思うようになり、黒人音楽にさらにのめりこむきっかけにもなりました。
≪転機は1960年代後半、17歳のころ。「あの子が歌うとホールの客は踊りをやめて聴き入る」といううわさを聞き、芸能プロダクション「ホリプロ」の大阪支社長が訪れ、言った。「君には才能がある。うちの社長に会ってほしい」≫ 「何や?」と気乗りしませんでした。ホリプロなんて聞いたこともなかったんです。
(聞き手 編集委員・小泉信一)

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