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朝日新聞2017年3月25日be3面:三上知恵さん 映画監督・ジャーナリスト 「何を壊そうとするのか、腰をすえて描きたい」 12歳のとき、家族旅行で訪れた沖縄。その体験が人生を変えた。
初めて見る沖縄の墓に震え、県平和祈念資料館で見た沖縄戦の展示に衝撃を受けた。いまでもその全部の内容をおぼえているほどだ。「あんな怖い島、二度と行きたくない」と子供心に思ったが、千葉県松戸市の自宅に戻ると、沖縄のことが気になって仕方がない。沖縄についての本を読みまくった。
「沖縄が自分の真ん中にあるものになってしまった。なぜなのか自分でもわかりません。『沖縄のことをやるのがおまえの使命だ』という知らせだったのかもしれない」
そして沖縄民族学を学ぶためにその講座のある成城大学に進学。沖縄のシャーマニズムを研究し、調査で多くの離島を訪ねた。
震災機に沖縄へ  テレビ局を志望したもの、リポーターとしてフィールドワークを続けられるかもしれないと思ったから。毎日放送にはアナウンサーとして入った。男女雇用均等法施行の翌年だ。育児休業を取得したのは社内初だと聞いた。「後進の道を作るブルドーザーにつもりで頑張った」。
仕事は手応えがあったが、「女子アナ」に求められるイメージと、したい仕事との間にギャップを感じた。そんなとき、また人生を変える出来事が起こった。1995年の阪神淡路大震災。発生直後、速報で状況を伝えながら、人はいつ死ぬかわからないと感じた。自宅マンションは半壊し、付近の復旧に8カ月かかる中、本当にしたいことを考えた。「沖縄に行きたい」。開局を控えた琉球朝日放送から声がかかったのはそんな頃。「運命だと思った」
思いを全国へ  沖縄に移住し、琉球朝日放送でローカルワイドニュースのメインキャスターを務める一方、沖縄の文化や社会をテーマにしたドキュメンタリー番組を次々に手がけ、優れた放送作品に贈られるギャラクシー賞の優秀賞も何度も受けた。しかし、10年ほどすると、空しさも感じ始めた。
「どんなにいいものを撮っても全国ネットにするのは難しい。沖縄の問題が沖縄だけに放送されていても意味がないのに。とくに基地問題にはスポンサーがつかないです」 沖縄と全国との認識の差にもどかしさは強まった。「辺野古は、沖縄の基地負担を軽減するという普天間基地の代替施設などではなく、新たな出撃基地の建設。なのに、沖縄以外にはそう信じ込まれている」
沖縄の現実を全国に届けられないかと模索の結果、自ら思いついたのは、テレビ番組をドキュメンタリー映画に仕立て直すこと。初監督作品となった劇場版「標的の村」は、公演後の自主上映も約730カ所。「これほど多くの人が見てくれるとは思わなかった」
「沖縄を広く伝えたい」との思いやまず、2014年、フリーランスになった。映画監督になりたかったわけでも、勝算があったわけでもなかったが、監督2作目の「戦場ぬ止み」(いくさばぬどうみ)も高い評価を得た。
作品に共通するのは、登場人物の表情がいいことだ。長年の知人であり、番組にも登場した読谷村(よみたんそん)の彫刻家、金城実さん(78)は、取材の手法に感心したことがある。「ここまでするかと思うほど、被写体に近づいていく。取材する側とされる側の空気を読むことがとてもうまい」
被写体の中に分け入っていく力は民俗学のフィールドワークからも培われたという。沖縄民俗学の研究は社会人になってからも続け、沖縄国際大学大学院で修士号を取り、05年から12年間、この大学で非常勤講師として教えた。基地問題も、民俗学の視点からより見えてくるものがあると語る。たとえば、最新作「標的の島 風かたか」には、祭りのシーンが多く登場する。「風かたか」とは風よけ、防波堤といった意味だ。
「沖縄の人が苦しい闘いでもがんばれるのは、先祖、今、子孫がつながっているから。先祖からの贈り物である島を守り、子孫に渡すために闘う。汚すのはもってのほか。今は勝ち目がなくても、闘ったことが子孫に贈る財産。自分たちが『風かたか』になり、大切な自然や土地や文化を子孫へと受け継がなければならないという思いが貫かれています」 「戦場ぬ止み」「標的の島 風かたか」でプロデューサーを務めた木下繁貴さん(42)は作品の魅力を、三上監督の沖縄に対する思いや取材対象への思いの強さにみる。「沖縄に腰をすえて生きていく覚悟があるから出せるものです」
沖縄に骨を埋めるつもりで、海の見える場所に家を建てた。可能な限り、伝える仕事を続けたいという。「島の誇り高い文化にほれぼれします。私たちが何を壊そうとしているのか。どんと腰をすえて描きたい」

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