23日 語り残すわたしの8・15 【中】

東京新聞2017年8月20日28面:俳優・小山明子さん(82)うそつかざるを得ない時代 戦争が始まったのは国民学校に入学した6歳の頃。お国が大変なことになったらしいとしか分からなかった。空襲が激しくなると、3人の兄は東京から集団疎開し、私は大阪の池田市にある叔父の家に縁故疎開した。友人と2人、学校からの帰り道に機銃掃射を受けた。バリバリバリバリというものすごい音。桃畑に飛び込み、ずっとうずくまっていた。飛行機は近くの工場沿いの溝を撃って上空に去ったが、本当に怖かった。
戦争のニュースはラジオが情報源。空襲警報が鳴って防空壕に入っている時、池田市の隣の豊中方面にラジオが「敵機来襲」と言う。外に出ると、B29 が編成を組んで雨あられのごとく焼夷弾を落とすのが見えた。不謹慎だけど、すごくきれいだと思った。叔母が家の下敷きになり、いとこが無くなっていたのに・・。
東京の家は空襲で焼けた。「どうせ死ぬなら家族一緒に」と母は子どもを疎開先から呼び寄せ、終戦間際には埼玉県の鶴瀬村(当時)へ。8月15日の玉音放送は家族で聞いた。天皇陛下の声はこんな声なのかと思っていたら、母が泣いている。「子どもたちを戦争にやらないでよかった」と。
「お国のために兵隊に」と言っていたのに「お母さんはうそをついた」と思った。軍国主義は民主主義に、教科書は黒塗りに。大人はうそつきだと不信感を抱いた。(夫の)大島(渚監督)も「ものすごく矛盾を感じた」と言っていた。母は翌年、胃がんのため42歳で亡くなった。戦争がなければもっと生きられたはず。後から思えば、誰一人お国のために喜んで子どもを差し出す母親なんていなかった。うそをつかざるを得ない教育、時代だった。
戦後72年、日本は憲法の下で平和だった。今、雲行きが怪しい。大島が昔、小学生の息子のために戦争中の体験を記した文章があり、それが絵本になっている。声高には言っていないが、戦争はしてはいけないと。私も全く同じ気持ちでいる。

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