2月4日 サザエさんをさがして

朝日新聞2018年1月27日be3面:ガウン和の装いとの意外な関係 ガウンを拒む和装の波平と、はやりのミニスカートを着る洋装のサザエさんを対照的に扱った掲載作。内心ではガウンを気に入り、どてらの中にこっそり羽織って、着ぶくれてダルマのようになった波平に記者は噴出してしまった。
長谷川町子全集をめくると、波平は通勤で洋装、家庭では和服に着替えている。そんな明治生まれの波平の習慣を無視し、ガウンを薦めるサザエもサザエだが、当の波平はハイカラな格好を隠してくつろうでいたことを娘に悟られ、顔を真っ赤にしたのだろう。
波平が恥じらう理由はほかにもあるような気がしてならない。1953年9月3日の朝日新聞に該当テレビに夢中の波平が描かれている。敗戦の復興途上だった当時、画面の主役は白人レスラーたちを空手チョップで打ちのめした力道山だった。ガウンを脱ぎ、強靭な肉体を見せつける姿を波平も目撃したはずだ。力道山が暴力団関係者にナイフで刺され、39歳で急死したのは冒頭の掲載作の約3年前。テレビの普及で茶の間にもプロレスが浸透し、マッチョの対極にある波平は照れながらガウンを着ていたかのしれない。
力道山の次男でプロレスラーの百田光雄さん(69)は「おしゃれな父はかっこいいと思えばすぐに採り入れた。プロレス修行で見た白人レスラーのガウンもそう」。力道山は自身のガウンを後援者に贈るのが常だった。お気に入りの不道明王のガウンだけはひつぎに納められ、光雄さんのもとに父のガウンは1着も残っていない。
リングに上がり始めたころ<即製の着物風のガウン>を着たと、力道山は自伝に記した。光雄さんも「父は着物を仕立て直し、ガウンにしていた」と証言する。力道山の弟子だったジャイアント馬場のお別れ会で、掲げられた本人の遺影もガウン姿だ。「バスローブのようにも見えますが、奥様の打掛をリメイクし、鳳凰の刺繍が施された有名なガウンです」。神奈川県茅ケ崎市のプロレスコスチューム職人、小栗修さん(46)が解説した。2代目タイガーマスクの三沢光晴(故人)だけで30着を超すガウンを仕立て、大物レスラーの衣装にも詳しい。
着物とガウン。力道山や馬場がどこまで意識していたかは不明だが、この和と洋の装いの間には密接な関係があるらしい。西洋服飾史を研究する杉野服飾大学准教授、鈴木桜子さん(47)に掲載作を見せると「既製服が大量に消費されていく時代で、ガウンもその一つでした」。71年11月19日の朝日新聞家庭面は<男もののガウンが、二、三年前から急に売れだし、この冬はまた一段と伸びそうだという>との記事を掲載。サザエも客の一人だった。
ガウンの起源は中世ヨーロッパの丈が長い服にさかのぼる。杉野服飾大学と同じ系列の杉野学園衣裳博物館(東京都品川区)所蔵の19世紀欧州の女性用ガウンは前を複数のホックで留める。鈴木さんは帯を結ぶだけの波平のガウンを「19世紀末に欧州の万博で展示された日本の着物をきっかけに、ファッション界で流行した日本趣味『ジャパニスム』の影響がある」と分析する。着物を筒状に固定する着付けを知られていなかったこともあり、部屋着として羽織るガウンが誕生したのだという。波平がこのモードを知っていたなら、ダザエの前で堂々とガウンを着たに違いない。(辻岡大助)*紙面ではサザエさんの4コママンガが掲載しています。

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