2日てんでんこ 福島に住む5

朝日新聞2017年3月31日3面:異変を感じてから受診まで1年以上がたっていた患者は、4.5倍に増えていた。 6年前の東日本大震災のときの記憶は、尾崎章彦(32)にとって最悪だ。研修医として勤めていた太平洋沿いの千葉県旭市の病院で、津波で流された人たちの手当をしたが、役に立てなかった。失態を何かの形で取り戻せなないか。
震災前は、知り合いの多い関東の病院に就職しようと漠然に考えていたが、被災地で働きたいと意識するようになった。出身の東京大学医学部で紹介された福島県会津若松市の病院に2012年4月に赴任。2年半の研修後、津波で636人の犠牲が出た南相馬市にある市立総合病院に志願して移った。尾崎は玄界灘に面した福岡県宗像市で生まれ育った。同じ海沿いの街で故郷と似ていると思った。だが、震災の傷跡が残っていた。
海沿いを歩くと、壊れかけた堤防があった。市の南部などに避難指示が出ていたため、市内のあちこちにはプレハブの仮設住宅が建ち、最多時で約6千人が暮らしていた。病院の患者にも避難者が多かった。
赴任後、外科外来で診察していた尾崎が気づいたことがある。治療が手遅れになるまで受診しない乳がん患者が目についた。多くが、一人暮らしのお年寄りだった。事故後の避難で子どもや友人と離れ離れになり、相談できる人が周りにいなかったという。避難によって、かかりつけ医がいなくなったという人もいた。
「こんなにも多いのですか」尾崎が、上司の外科科長、大平広道(54)に相談したのは、病院に赴任した翌年の15年夏だった。「ちゃんと調べてみよう」 大平は応じた。
2人とも乳がんを専門的に診ており、市内で治療を受けた震災前の122人の患者と、震災後の97人のデータを比べた。自身で体の異変を感じてから受診するまで1年以上たっていた患者は、震災前の4.5倍にも増えていた。深刻な事態だった。何か手を打たなければー。
尾崎が中心になり、論文にまとめて国際的ながん専門誌「BMC Cancer」に投稿した。(奥村輝)

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