2日 私の十本 吉永小百合

東京新聞2017年4月30日2面:動乱【下】健さんの迫力に驚く 「動乱」(1980年1月公開)の共演が決まり、東映東京撮影所であいさつしたのが、高倉健さんとの初対面だった。「高倉さんが出演されている内田吐夢(とむ)さんの『森と湖のまつり』や『飢餓海峡』は見ていましたが、お会いしたこともありませんでした」
その直後、極寒の季節に、北海道の北端に広がるサロベツ原野で、「動乱」の撮影が始まった。吉永さんが演じる貧しい農家の娘、薫は借金のかたに売られ、日本の植民地だった朝鮮半島で苦界に身を沈めている。そこで自殺を図り、雪の上に放置されているのを、青年将校、宮城大尉役の高倉さんが救う場面だ。
一面の雪の上に、長じゅばん、はだしで倒れていなければならない吉永さんは、寒さで凍え、昼休みになると一目散にロケバスに駆け込んだ。「スタッフも次々にロケバスに入って、昼ご飯の温かいカレーライスを食べ始めたんです。ところが外を見ると、雪原で独りぽつんと立ったままカレーを食べている人がいる。えーっと思ったら、高倉さんでした。役になりきって集中力を切らさないために、暖かいバスの中に入らないようにしていたんですよね。すごい人だなと驚きました」
当時、高倉さんは、同じ森谷司郎監督の「八甲田山」や「幸せの黄色いハンカチ」「野生の証明」など話題作に相次いで主演。脂が乗りきった時期だった。このロケの後の撮影所でのセット撮影でも、吉永さんはその迫力に圧倒されたという。
「自殺を図る少し前に、薫が宮城大尉にお酒をつぐシーンがあるんです。二人だけの芝居なんですが、極度に緊張してお酒をつぐ手が震えてしまいました。あんなに緊張したのは、日活時代の『光る海』で、田中絹代さんとご一緒した時以来です。それくらい高倉さんのパワーはすごかった」
「動乱」の中で、吉永さんが大好きなシーンがある。薫を救った後、自分の妻にした宮城大尉は、妻の体に触れようとしない。宮城の恩師を二人で鳥取に訪ねた帰り道、砂丘で薫は抑えていた感情を爆発させる。
「私の体は汚れているから、だから抱けないんですか?」「(財布からお金をつかんで突き出しながら)このお金で私を買ってよ」 鳥取砂丘に見立てた静岡の浜岡砂丘で春、撮影された場面だ。「私はそれまで、負の部分を出していく役というのが少なかったですから、こうゆう『過去を背負った女』は、やりがいがあると思ったんです。出来上がった作品を見ると、いちずな女心は出せたけれど、苦界に身を沈めていた女のぬぐい去れない過去までは出せなかったという思いがします。でも、精いっぱい演じた満足感はありました」
初顔合わせだった森谷監督は「芝居に関しては、本当に自由にやらしてください」という。演技で気を使ったのは、高倉さんとの呼吸だった。「高倉さんは間をじっくり取られる方なので、それをしっかり受け止めて演じようと思いました。最初の緊張を通り過ぎると、お互いの気持ちがすーっと通い合って、楽しくやれました。ラブシーンの時以外はね(笑)。高倉さんは映画の中で女性と抱き合ってはいけないという思いを持たれていて、それを無理やり撮らせていただいたのですごく大変でした」
一年間にわたる「動乱」の撮影中、高倉さんと話した記憶はほとんどない。撮影がすべて終わったとき、宮城大尉がかぶっていた陸軍の帽子が、スタッフから渡された。吉永さんは今もその帽子を大切に保管している。(聞き手=立花珠樹・共同通信編集員)

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