19日 ろう者の祈りⅡ2

朝日新聞2017年3月16日9面:日本語の壁 折れかけた心 数年まえ、春。ひとりのろう者が、ろう学校から旅立とうとしていた。彼は希望に満ちていた。ある中堅の会社に実習に行った時、こう言われた。「とても君は素晴らしい。わが社初のろう者社員として入社してほしい」聴者が初めて自分を認めてくれた。彼は、そこに就職することを決めた。両親は、「ろう者が働きやすい環境がある会社の方がいいんじゃない?」と心配した。彼は、「社員のみなさんが優しいから大丈夫。ぼくは定年まで辞めないよ」と笑った。
彼は、小学3年生までは聴者と同じ学校に通った。先生からバカにされ、同級生からはイジメられ。我慢できなくてろう学校にうつり、まじめに勉強した。得意科目は数学だ。高等部を卒業した。桜の4月、自分をほめてくれたあの会社に入社。管理部門に配属された。
彼の希望のつぼみは、開花することなく枯れた。あいさつの社内メールを出すと、「新入社員のくせに、何様だ」と冷たい視線を浴びた。彼には、どこが悪いのか分からなかった。あとで、尊敬語などがなかったから、と知った。尊敬語、丁寧語、謙譲語。のれらの使い方は、彼の一番区が手とするところだ。
さらに、社員から彼に来たメールが、小学校低学年の子どもにあてたような文になった。彼の出したメールの中に、へんな文があったのかもしれない。彼は、「てにをは」など助詞の使い方にも自信がない。どこがどうおかしいかったのか、だれも教えてくれない。
さらに、先輩たちは彼に早口で話した。彼は、口の形で何を言っているのかを読む。「少しゆっくり話して下さい」と頼むと、先輩たちは「もういいや」と顔をそむけた。そして、仕事を任せてもらえなくなった。「その仕事は僕が責任を持ちます」と上司や先輩に言っても、「君はいいよ」。彼を理解しようとしてくれる社員は、ひと握り。職場は聴者ばかりなので、苦しみを言えない。彼は、気持ちを封印したー。
本当は言いたいことばかりなんだ。僕はバカじゃない。国語が苦手なだけなんだ。もっと仕事を覚えたいんだ。海外の仕事だって、いずれは経験したいんだ。
社員のみなさん。「おはよう」だけでいいので手話を覚えて下さい。みなさんは海外の取引先と会話するために英語を勉強していますね。となりの日本人とのコミュニケーションのことを、わずかな時間でいいので考えて下さいー。
彼が会社を辞めないでいられるのは、日本語に少しずつ自信を持ちはじめているからだ。一日何時間もかけて、自費で、ある日本語教室に通ってきた。教室の聴者の先生がつくった問題にとりくみ、文を書く。それを、先生が手話で解説してくれる。
いつか、社員みんなに、「文章、うまくなったね」と言わせたい。それが自分の道を切り開くことになる、と考えているのだ。
じつは、この連載1回目に登場した短距離ランナーも、その日本語教室に通っている。教室の経営者は、多くのろう者にとっての「ラストホープ」(最後の希望)である。ろう者のほとんどは日本語が苦手なようなんだけど・・・、なぜなの? (編集委員・中島隆)

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