16日てんでんこ 失われた風景2

朝日新聞2017年3月14日3面:現実には見られない人の姿や風景が時間を超えて、写真の中に存在した。 東日本大震災の津波から数日後。写真家の志賀理江子(36)は宮城県名取市の北釜地区で、民家から流され散り散りになった写真を拾い集め、洗浄する作業を始めた。
2年余り前、海岸とそれに沿って続く松林が気に入ってアトリエを構えたが、津波はその様相を一変させた。松の多くが根こそぎなぎ倒され、家々も無残な姿をさらした。家族約400人のうち、51人が亡くなった。家族8人全員が犠牲となる家もあった。
志賀自身は買い物帰りの車から高波が迫り来るのを目のあたりにし、とっさに引き返して難を逃れた。避難所になった小学校の体育館にこもっていたが、犠牲になった人の顔が頭をよぎって胸がつぶされそうだった。写真の修復に手を動かすことで気持ちが救われた。
北釜の専属カメラマンとしてお祭りなど地区の行事を追った仕事は、震災の前年、分厚い2冊のアルバムとなり集会所に納められたが、本はおろかデータが入ったアトリエのハードディスクも流された。一時は「記録が全部台無しに」と頭を抱えたが、1冊は集会所そばのがれきを掘り起こしたら見つかった。もう1冊も数カ月後、とんでもなく遠く離れたところから奇跡的に出てきた。
自衛隊員やボランティア、住民らが見つけたありとあらゆる写真は、辛うじて形をとどめた地区の集会所に集められた。ざっと3万枚強。もう現実には見られない人の姿や北釜の風景が時間を超えて、そこに存在した。
津波の犠牲になった娘の写真がないかと訪ねてきた母親がいた。連日、目を皿のようにして探す姿に、本当に求めているのは写真ではなく、写真から呼び起こされる娘そのものだと身にしみた。
塩水や泥にまみれた写真は異臭を放ち、修復するに連れ薄らいでいく。日本古来の葬礼である「殯」(もがり)も、死人をしばらく仮安置して供養する間に腐敗や白骨化が進み、臭いが和らぐという。集会所は殯の場と感じた。
北釜を記録したアルバムの写真はあまり傷ついておらず、無地に修復できた。しかし、もうだれもここに住めないー。志賀は翌年の夏「北釜アルバム」として製本化し、地区の全約100世帯が移り住んだ仮設住宅などを回って律儀に一軒一軒訪ねて配った。「ありがたい」。鈴木かつ子(84)はアルバムに手を合わせた。(森治文)

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