16日 おそ松くん 時代にマッチ、笑いの革命

東京新聞2017年2月14日夕刊4面:1962年春、赤塚不二夫の元に『サンデー』から4回連載の依頼が舞い込んだ。
「どうせ4回じゃないか、思いっきり暴れて終わってやろうじゃないか」(赤塚不二夫『これでいいのだ』)。米映画のマニアで、「底抜けコンビ」のマーチン&ルイスなどテンポの良いコメディー映画を見てきた赤塚が考えたのは、これまでに見たことがないようなハチャメチャなドタバタ劇だった。
何度でも書くが、それまで「ギャグマンガ」という言葉すら世間には定着してなかった。マンガの笑いは「ユーモア」であり「こっけい」だった。舞台は家庭や学校やご町内が相場。こんなふうに大まかな設定が前提として存在し、その枠の中で、予定調和的に繰り返される笑いだった。たとえるなら落語のようなのんびりした笑いである。赤塚は、その固定観念をぶっ壊そうと思った。
赤塚の著書『笑わずに生きるなんて』によると、4回連載の構想を練っている時、ある映画が頭に浮かんだ。『一ダースなら安くなる』という米映画である。「主人公が1ダースいたら、どんな事になるのだろう・・?」
その頃、赤塚は初代アシスタントの女性と結婚して半年がたっていた。赤塚26歳、妻・登茂子21歳。普段から作品は登茂子と話し合いながらつくっていた。今回も相談した結果、狭いマンガのコマで1ダースは描ききれないと、半ダース「六つ子の主人公」に落ち着いた。サンデー編集部は「六つ子は、見分けがつかない」と難色を示した。赤塚は「六つ子は、見分けがつかなくていいです!」と押し切った。とにかくハチャメチャな設定でギャグをつくるのが肝だ。
『おそ松くん』は62年16号から始まった。六つ子は、画面狭しと暴れまわった。常にハイテンション、ハイスピ―ド。自称「おフランス帰り」のイヤミ、おでん好きのチビ太、デカパン、ハタ坊、ダヨーン。脇役のキャラクターも主役以上に強烈だった。「シェー」「ダジョー」「ホエホエ」・・・。理屈抜きのギャグは革命を起こし、彼らの行くとろこはどこでも笑いが起こった。
少年誌が月刊から週刊にシフトし、日本人の生活サイクルもどんどん早まっていった高度成長期。作品のテンポの良さは時代にもマッチした。こんな漫画、見たことない! 読者の多くはそう思ったことだろう。『おそ松くん』は「ギャグマンガ」として認知された初めてのマンガになった。4回だけの予定は、7年以上の長期連載になった。(啓称略) (斎藤宣彦)

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