14日てんでんこ 皇室と震災Ⅱ【5】

朝日新聞2017年7月11日3面:貝原知事は陛下と同い年。「来ていただくことに意義がある」と語っていた。1995年1月17日午前5時46分、兵庫県を震源とする最大震度7の地震が西日本一帯を襲った。阪神・淡路大震災だ。総務省消防庁や兵庫県によると、死者6434人、住宅64万棟が被害を受けた。天皇、皇后両陛下が被災地を訪れたのは2週間後の1月31日だ。訪問の意向は1週間ほど前に宮内庁から兵庫県に伝えられた。県知事皇室次長秘書課長だった斎藤富雄さん(72)を中心に、秘書課の行幸啓担当主査だった前田秀俊さん(60)らが準備を進めた。
参考にしたのは、93年7月、北海道南西沖地震で被災した北海道利尻町訪問だった。道庁に電話で教わり、「お迎え案」を作った。問題は、阪神・淡路大震災が大都市直下型の大地震だったことだ。ピーク時の1月23日には1150ヵ所の避難所に約32万人が避難するなど、被災者が桁違いに多かった。
奥尻島の移動は、両陛下が乗る車1台と随行員が乗るバスの計2台が基本だった。しかし、貝原俊民兵庫県知事(2014年死去)は「車2台だと、被災者の受け止めがいろいろあるのではないか」と考え、県は「バス1台に両陛下も随員も乗っていただくことは可能でしょうか」と宮内庁に打診した。
宮内庁は「わかりました」と同意した。バスは、兵庫県でも震災の被害が軽かった県北部の但馬地方から運転手も含めて調達した。被災者の中には不安やいらだちを募らせる人もいた。村山富市首相(93)は発生2日後の1月19日に被災地を訪問したが、「目線が高い」などと批判を浴びていた。斎藤さんは心配もあった。
だが、「両陛下がおいでになれば、きっと打ちひしがれている被災者もい励まされ、再起のきっかけになる」と考えた。貝原知事は当時61歳で両陛下と同い年。「皇太子時代から親しみを感じており、来ていただくことに意義がある」と語ったという。
震災6年後の01年4月に両陛下が被災地を再訪した後、5月に退任を表明した。「震災で6400人もの犠牲者を出したけじめをつけたい。両陛下による視察も一つの節目となった」と語った。(北野隆一)

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