14日 寂聴 残された日々

朝日新聞2017年5月11日31面:観音様と大阿闍梨に導かれ 今年5月15日の誕生日で、私は満95歳になる。今から30年前の晩秋のことだった。突然、嵯峨野のわが寂庵に、見知らぬ紳士が2人訪ねた。若い方のにこやかな表情の人が名刺をさしだしながら、比叡山の長老の紹介で訪ねたという。その長老は、位の高い方で、日頃、私など口もきけない間柄だった。若い人は岩手県浄法寺町(現・二戸市浄法寺町)の山本均さんという町長で、少し年配の人が、その町の教育長の小向伊喜雄さんだという。山本町長は36歳で就任した若い町長だった。
話は町の人々が尊崇している御山の天台寺の住職になって晋山してくれということだった。とんでもない話だと、即断り、2人を送り出して玄関を出た時、はっと気づいた。その日は私の得度記念日11月14日だったのだ。それを忘れるほど、当時私は書きに書いていたし、寂庵へ来る人々をつれて巡礼の旅に歩き回っていた。酒井雄哉・大阿闍梨の大回りにくっついて歩いたりもしていた。私の立ち止まった気配に気づいた山本町長が足を止めて、私を見つめる。「今日、私の得度記念日だったのです」「ほうら、ほうら、これが仏縁というものです」
一瞬、そうかもしれないと思った私の負けで、とにかく、寺を一度訪ねてからとまで軟化してしまった。日本一の漆の産地の浄法寺町はもう雪に埋まってしまうので、来春来てくれという話に落ちつき、2人は引き上げて行った。
Θ Θ Θ 年が明けて3月末、はじめて浄法寺町を訪れた時は、まだ町の両側には、はき寄せた雪がうずたかく残っていたし、天台寺のある御山は雪が深く、長靴を借りて登しかなかった。 やっとたどりついた本堂は想像を絶した荒れようで、見るも無残だった。檀家は27軒。到底私ごときの手におえる寺ではない。断るしかないと、本堂を出て前の広場の中央に立った時、突然、私の全身は例えようもない清らかな霊気に包まれていた。その時、私はこの御山がたしかに霊山であることを確信させられた。身の心も洗われたようになり、収納庫の横の一木彫りの御本尊聖観音様を拝んだ時は、思わずひれ伏した。私はこの観音様に選ばれて、ここに呼び寄せられたのだと身震いしていた。
Θ Θ Θ 雪がとけた5月5日、私は晴れて第73世天台寺住職として華やかに普山した。65歳の誕生日の直前のことだった。普山の決心が定まったのは、実は酒井大阿闍梨に密かに相談に伺ったからであった。阿闍梨さんはその場で、私ひとりのために護摩を焚いて下さり、御自分が回峰行に持参された短刀「関の孫六」を手渡して下さった。 「あの御山は旧い山で魔物も多いから、寝る時は、枕元にこれを置きなさい。関の孫六がどんな魔物も追っぱらってくれるから」
押し頂いた名刀は、今も私を守ってくれているのに、私より4歳も若い阿闍梨さんは、さっさと極楽に旅立たれてしまわれた。早く私を呼んでほしい。
🔶作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんによるエッセーです。原則、毎月第2木曜日に掲載します。

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