13日 ひめゆり 悼む舞

朝日新聞2017年5月10日夕刊9面:私の疎開中 沖縄の親友は、島の最南端で自決したー 惨状知らぬ葛藤抱えて
東京・品川のマンションの一室に、約40年続く琉球舞踊の教室がある。率いるのは那覇市出身の崎浜和子さん(88)。集う生徒たちも皆、同じ年頃。沖縄県立第一高等女学校に通い、太平洋戦争末期、沖縄師範学校女子部の生徒らと共に動員された「ひめゆり学徒隊」の同窓生だ。
15日に本土復帰45年 崎浜さんらは、沖縄の本土復帰45年前日の14日に行われる「ひめゆり同窓会東京支部」の総会で、琉球舞踊を披露する。
「ひんぎら隊」 「あんたも、ひんらぎ隊だったの」。復帰前に初めて里帰りした際、旧友からかけられた言葉を崎浜さんは忘れられない。沖縄の言葉で「逃げる」を意味する「ひんぎる」。学生隊では教員を含め136人が犠牲になった。動員された親友は、沖縄本島最南端の岩場で自決していた。参加しなかった自分は「逃げた」-。
1944年7月、15歳の時、家族で疎開した。鹿児島から熊本、大分へと避難を重ね、終戦を迎えた。親戚を頼り、上京。生家を失い、本土と分断された故郷は、距離以上に遠かった。東京で家庭も持った。戦後10年以上を過ぎての帰郷だった。
旧友自身も、ひぎら隊だと言った。「なんでうちの子が」。そう遺族に嘆かれて顔向けできず、亡くなった友に線香をあげに行けなった、と胸の内を語った。同級生や下級生からは、逃げまどう中で家族を爆撃で亡くした話や、収容所での日々を聞いた。
同窓生に教室 東京での同窓会には、戦後1回目の49年から出席を重ねている。6歳から習い始めた琉球舞踊を続け、ひめゆり学徒隊の三十三回忌法要を行った支部総会では、舞を奉納した。同窓生から「教えてほしい」と請われ、教室を始めた。
故郷を忘れたことはない。けれど地上戦の惨状を見ず、美しい沖縄しか知らない申し訳なさで、胸がいっぱいになることがある。6年前に同窓会の支部会長を引き継いだ。20年前は約450人いた支部会員数は、2桁に。琉球舞踊教室の同窓生も5人なった。
同窓生も教室も、集いたいと願う仲間がいる限り続けたい、と崎浜さんは言う。ひめゆりたちの記憶をつなぐ責任がある。同窓会の総会では「浜千鳥」や「てぃんさぐぬ花」など沖縄民謡のほか校歌に合わせた創作舞踊を披露する。「戦争のない世の中を守ること、それが残された者にできる、一番の供養」。ひめゆりの友を思い、平和への祈りを込めて踊るつもりだ。(川村直子)

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