12月28日てんでんこ 奥尻から【10】

朝日新聞2017年12月23日3面:衝撃を伝えるため、説明員に。被災当時のモノは持ち主の思いを語りかける。 「奥尻島津波会館」は、奥尻町青苗地区の岬先端にある。町が義援金など約11億円を投じ、2001年に開館した。写真と映像、模型で惨状を再現する。安達恵子(62)は開館以来、説明を続ける唯一の人だ。必死で逃げたあの夜は寒かった。ジェット機のような轟音がした。津波で家が流されていく音だった。何も無くなった街を目にした衝撃は忘れられない。
「これって戦争?」勤め先の魚協は流された。同僚も亡くなった。この先どうなんるんだろう。ぼうぜんとした思いを伝えようと、説明員になった。ただ、ピークの03年度に約3万人だった入館者はいまや1万人。町民は小中学生を除き、ほとんどこない。9割は町外の人たちだ。
11年3月の東日本大震災後、東北などから視察が増えた。だが、よく質問される「復興」についての展示はほとんどない。隣に慰霊のモニュメントがある。館内も照明を落とし、表現は控えめだ。開館当初は「生々しすぎる」と写真も出さなかった。東日本大震災の被災地でも見学施設ができるなか、このままでいいのか。奥尻でも災害後の世代が増えている。あの夜、多くの人が揺れの後にすぐ逃げ出したのは、その10年前の日本海中部地震を思い出したから、といわれる。最近は、年に一度の防災訓練の住民参加率は1割を切っている。被災体験の継承にこの施設をどう役立てるかも将来の課題だ。
津波館担当の学芸員、稲垣森太(34)は4.5年前から、被災当時のモノの収集を始めた。町内の女性が切り抜いていた津波後の新聞の切り抜き帳、20年ぶりに海底で見つかった島の少女のものだったらしいリカちゃん人形、地震があった1993年7月のままの倉庫のカレンダー、フォーク歌手の泉谷しげる(69)が贈ってくれた車のサイン入りドア、支援物資を詰めた段ボール箱・・。
今は廃校を使った民俗資展示室の隅にひっそり置いてあるだけだ。でも、元の持ち主が何を思っていたのか、どんな状況だったのか。様々に語りかけてくる。
(伊藤智章)

 

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