12月26日 野球の国から 王貞治【1】

日刊スポーツ新聞2017年12月22日7面:全国高校野球選手権が100回大会を迎える来年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」の、元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」第27弾は、現ソフトバンク球団会長の王貞治氏(77)が登場します。巨人現役時代に通算868本塁打で「世界の王」と呼ばれたスラッガーは、早実(西東京)時代も群を抜く存在でした。2年春にはセンバツVの原動力となり、2年夏の甲子園出はノーヒットノーランを達成。世界の本塁打王へとつながる高校時代を、全7回で振り返ります。
甦った59年前の記憶 孫のような後輩に、世界のホームラン王は言った。「俺も最後の夏は出られなかったから」。そして一瞬、間を置いて続けた。「だから、いいバッターになるよ」。今年夏。通算100本塁打を超え、日本を熱くさせた早実の主砲・清宮幸太郎が夏の西東京大会決勝戦で散った。3年生の夏。最後の甲子園への道がとざされた。世界の王には清宮の姿が自らと重なって見えた。
時計の針を59年前に戻す。1958年(昭和33)8月3日。神宮球場で行われた明治との東京大会決勝。早実は延長12回表の攻撃で4点を挙げ5-1とリードした。しかし、直後にまさかの大量5失点・・・。マウンドでぼうぜんとサヨナラの走者を見つめていたのは背番号「1」を背負ったエース王貞治だった。脳裏には4度も行進した甲子園の景色が広がっていた。サヨナラ敗戦。まさに悪夢の夏となった。王も清宮と同じ、キャプテンだった。
王 当然、甲子園に行けるお思っていたからね。3年の夏に負けちゃってね。この最後の試合だけなんですよ、先発登板したのは、決勝で負けたんだけど、最後の試合だけはまあ、『王を先発させてやろう』ということだったんだけどね。なんだかんだよく頑張ったんだけどね。
サヨナラで投手決別 苦く悔しかった涙も、古き良き思い出と変わった。屈辱の一戦があったからこそ、王は世界のホームランキングへの道を歩むことができたかも知れない。最後の夏の一戦は、王にとって「投手」に決別の日ともなった。
王 3年の夏の東京大会はほとんど投げていないんですよ。2年生のときまでの自分の投球ができなくなっちゃちっていてね。 打者としての非凡な才能は学年が上がるにつれて、上昇カーブを描いていった。3年夏の東京大会。甲子園の夢は断たれたものの、王の打撃は開花したと言っていい。明治との決勝までの7試合で25打数16安打、打率6割4分。驚異的な数字を残して王は「早実」のユニホームを脱いだ。
王 バッティングの方は4番打者だったし、チームの中心として打つことでカバーできたという意識はあるんだよね。 今年秋。王は悔しさに顔をしかめた。「いいバッターになるよ」と、勇気づけた後輩・清宮をドラフトで1位指名。7球団競合の末、日本ハムが交渉権獲得の当たりくじを引き当てた。王が球団会長を務めるソフトバンクは将来性豊かなスラッガーを迎え入れることはできなかった。王と高校野球・・・。語り尽くせないほどのエピソードが詰まっている。いや、その物語は今もしっかりと生き続けている。清宮との因縁を眺めるだけでも、そう思えてくる。
王 (最後の夏で)甲子園に行っていたら早大に進学していたでしょうね。来い、と言われていし。悔しい思いをしたらもう1度チャレンジしようと思うんじゃないですか。 のちに「世界の王」と呼ばれる男は、屈辱を乗り越えた先に栄光をつかんできた。最後の夏から2年前。初めて足を踏み入れた聖地・甲子園。そこでも王は屈辱を味わっていた。(敬称略)「佐竹英治」

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