12月24日てんでんこ 奥尻から【7】

朝日新聞2017年12月20日3面:復興で売上高は伸びた。だが、公共事業は減り、若者たちは出稼ぎに島を出る。 堀清水組の社長、高山清(69)は24年前のあの夜、北海道奥尻町役場の近くで当時の社長と飲んでいた。港湾整備を得意とする地場の建設会社だ。激しく揺れ、慌ててフェリーターミナルそばの会社に戻って息をのんだ。裏の崖が大きく崩れ、社屋1階が土砂で埋まっていた。そこは、社長の父でもある会長が寝起きしていた場所だ。
「津波が来る。早く逃げよう」。声をかけたが、社長は動かなかった。「おやじのそばを離れられなかったんだろう」。その後、会長、社長とも遺体で見つかった。専務だった高山が約1年後、跡を継いだ。「堀清水組はつぶれる」。そんなうわさまで飛んだが、復興特需に救われた。年間3億円ほどの売上高が数年後、15億円に。「雲の上をふわふわ歩いているような時代」だった。社員に月給2.3か月分の臨時ボーナスを出し、月の交際費も100万円を超えた。
だが、国、道、町が計764億円を投じた5年の復興期間が終わり、公共事業は激減した。いまや年間発注高は合計でも地震前の半分の約20億円。冬は再び東北や東京へ出稼ぎにいく作業員が増えた。一度行くと、多くは戻ってこない。大半が若者だ。このままでは会社も町もどうなるか。高山は気がかりだ。2015年の国勢調査によると、町内の15歳以上の就労者1347人のうち、建設業は卸・小売りと同率の10%を占める。公務員の25%に次ぐ存在だ。わずかだが、漁業や宿泊・飲食業より多い。雇用をどう守るか。町で最大の企業グループ、海老原建設代表の海老原孝(63)の悩みも同じだ。地震前に40人だった従業員が復興期間を経て倍に増えた。ほかに有力な受け皿がないなかで「従業員の首を切ることは、島から出て行け、というのと同義」なのだ。
99年、自分の土地でブドウ栽培を始めた。計30ヘキタールで栽培し、09年に全国の離島初のワイナリーと銘打ち「奥尻ワイン」を出荷し始めた。14年、ようやく黒字にこぎ着けた。産業廃棄物処理業や運輸業も手掛ける。町の要請で赤字ホテルの経営を引き継ぎ、観光バスも走らせている。ホテルやバスは話題になり、09年、道に新分野進出有料建設企業として表彰された。だが、観光業も不振で、結局、この夏にホテルの管理運営権を東京のホテル運営会社に譲った。(宋潤敏)

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