12月2日 月刊寅さん11月号 浮世を離れる夢見せて

朝日新聞2019年11月26日19面:世の「物差し」にとらわれず生きる どこまでも広がる水平線。潮風がほおをなでる。瀬戸内海に面したJR下灘駅(愛媛県伊予市)。ホームに降りると時が経つのも忘れ、次の列車を乗り過ごしてしまいそうになる。四角い顔のあの男もそうだったにちがいない。映画「男はつらいよ」シリーズ第19作「寅次郎と殿様」(1977年)の冒頭シーン。駅のベンチで昼寝をしていた寅さん。黒頭巾をかぶった正義のヒーロー鞍馬天狗になって悪人を退治する夢を見ていた。「お客さん、上り(列車)が来ますよ」。駅員に起こされ目が覚める。寅さんは、旅先でよく夢を見る。あるときは日本人初の宇宙飛行士、あるときはノーベル賞をもらった医学博士・・。山田洋次監督(88)は語っていた。「浮世はあまりにつらく重く、苦いことばかりです。我々はせめて映画館の中で、浮世を離れた夢を見たいと願うのではないでしょうか」夢を見る寅さんは、浮世離れの象徴とも言えるだろう。「そよ風が吹く田んぼで昼寝なんて最高のぜいたくですよ」そう語るのは、下灘駅を案内してくれた稲作農家の大槻最上さん(53)。年間100万人を超す入浴者数がある道後温泉(松山市)のアーケード商店街で土産物店を経営している。寅さんの故郷、東京・葛飾柴又の育ち。映画のロケは何度も見た。「本番、よーい」。山田監督の声も聞いた。桃井かおりさんや田中裕子さん、後藤久美子さんらマドンナ役の俳優も数多く目の前で見た。寅さんを演じた渥美清さんが白い体操服で、江戸川河川敷での地域の運動会にゲストで参加したこもあったという。東京の東外れにある柴又。大槻さんや古老によると戦時中、酒好きで「兵隊トラさん」と呼ばれた男がいたらしい。乱暴者とか、脱走兵とかうわさされたが、帝釈天の門前で悪さをすることはなく、冠婚葬祭の世話役をいつも買って出たという。兵隊が出征するときは参道でこんな演説をしたそうだ。「世の中、窮屈になって、大きくなるのはちくわの穴だけヨ」 大槻さんは日体大を卒業し、88年、自動車メーカーに就職した。世はバブル景気にわき始めたころ。セールス部門に配属された。営業成績は全国でトップだったが、心は満たされていなかった。忠誠と貢献が大切な職場。2年で体を壊し退社した。自宅で療養する中で寅さん映画を1作目から見た。「学歴や業績といった『物差し』だけでは人間の価値はわからないことを教えてくれた」と言う。華道に免許を取り、柴又に自分のアイデアを生かしたエステサロンや土産物店を開いた。だが愛媛にいる友人の勤めもあり、柴又の店は後進に任せ、東日本大震災があった2011年から松山市に腰を落ち着けるように。以前から関心があった無農薬栽培での稲作を本格的に始め、生涯の伴侶も愛媛で得た。「豊かさって何だろうかと思ったのです。寅さんも言っていたじゃないですか。『人間、金があるからって、決して幸せとは言えないよ』」大槻さんと別れた翌日の夜、私は松山市内で長年の友人に会った。人気BS番組「吉田類の酒場放浪記」に出ているエッセイスト吉田類さん(70)である。愛媛の隣、高知県淀川町出身。ラジオの収録で来ていることを知り、久しぶりに顔を合わせた。吉田さんによると、あの番組ファンはサラリーマンだけでなく、法曹界や政界、霞が関の官僚など堅い職業の人も多い。「ガチガチに就業規則にしばられている人もいるんだおるね」と吉田さん。寅さんは正反対。出世競争とは無縁で生きていくことに生涯の価値を見いだしている男である。東京の下町で暮らし、イラストレーターをしていた吉田さん。80年代後半からの土地バブルで地上げの風が吹き荒れ、小さな家や商店は駐車場や空き地になってしまった。「でも風雪に耐え、地元の人に愛されてきた店は残ったのです」。ライターや編集者らと「立ち飲み研究会」を結成したのは99年。「背伸びしないで足元を見ようと、飲み、語り合った」と言う。俳人の顔もあり、俳句愛好家を主宰する。休日は山登りを欠かさない。スケジュールに縛られないよう自由な時間を意識的に作っている。「自由な精神風土からこそ文化は花開く。『みんな違ってみんないい』なんじゃないかなあ」 この愛媛が舞台となった「寅次郎と殿様」。体邸宅で暮らす老人(嵐寛寿郎)は、物欲や名誉欲にとらわれず自由に生きる寅さんをよほど気に入ったとみえる。もう一度訪ねてきた際には連夜の宴会でもてなす。寅さんは「お前が迎えに来てくれないと、俺は一生ここで暮らすことになるかもしれないぞ」と妹さくらに電話をかける。風の吹くまま、気の向くまま。「おばよ」と言い残し、旅立ってこそ寅さんなのだろう。(編集委員・小泉信一)
チームの力の大切さ 撮影現場で学んだ 大学生のときに映画「男はつらいよ」の撮影現場で働きました。スタッフ、キャストの履物をそろえたり、控室に俳優を呼びにいったり。今で言う、インターンシップのようなもの。第19作「寅次郎と殿様」(1977年)では、ゲスト出演した嵐寛寿郎さんの孫の役でエキストラ出演もしています。映画の世界にあこがれていた私のために、父(作家の遠藤周作)が、対談か何かで知り合った山田洋次監督に「息子を現場で勉強させてほしい」と頼んでくれたようです。父も松竹の助監督試験を受けたぐらいの映画好き。特に寅さんシリーズの大ファンでした。ぐうたらを袖にしたユーモアに富むエッセー「孤狸庵シリーズ」にも一脈つながる世界観があり、精神的にも共有するものがあったのでしょう。撮影現場では私が一番若いスタッフ。寅さん役の渥美清さんは朝、私を見ると「少年、元気でやっているか」と声をかけてくれました。私のような末端のスタッフにも気を使ってくれる優しい人でした。現場全体が家庭的な雰囲気に満ちていました。作品はチームの力でつくるということを学ぶことができました。数年後、映画ではなくテレビの世界に入りました。「剣客商売」などの時代劇を多く制作するなかで、その時の経験は大いに役立ちました。パート、パートのプロ意識をうまく引き出し、チーム力を結集するのがプロデューサーの役割なのです。「男はつらいよ」はもともとフジテレビのドラマですが、そのような人情喜劇を、今、フジテレビが制作できるかというと難しいでしょう。家庭という集合体とお茶の間を舞台にしたコメディーが今の時代とマッチしづらくなってり、リアリティーを失っていることが理由の一つ。テキ屋を家業とする寅さんの世界には、日本人が許容してきたファジーさやいいかげんさが随所に見られますが、コンプライアンス重視のなかで難しくなりました。寅さんを別の職業にするわけにはいきません。それでも、今なお、ファンが多いのは、作品のかなに日本人のかつてもっていた感情が凝縮されているから。失敗を許す寛容さや互いの思いやり・・。心の原風景を思い出させてくれるからでしょう。テレビ局では難しいと思うからこそ、22年ぶりの新作が令和の時代にどう受け入れられるのか、興味があります。山田監督ならば、テクノロジーの進化と引き換えに、現代人が失ってしまった精神的なつながりを思い起こさせてくれるはずです。(聞き手・斉藤勝寿)
アイデア勝負のテキヤ仲間 ポンシュウ役 関敬六さん 義理人情に厚い寅さん。旅先では同じテキヤ仲間の消息を確かめ合ったり、声を掛け合ったりしている。特に仲が良かったのは「ポンシュウ」だ。口上で物を売る寅さんに対し、コンピューター占いや貸し杖などアイデア商品が多い。ソウル五輪(1988年)開催の時は「カール・ルイスご愛用」と紙に書き、寅さんと一緒に運動靴を売っていた。その愛称は「日本酒好き」に由来するのだおるか。第48作「寅次郎紅の花」(95年)のタイトルバックでは、地酒の試飲で無料で飲めることを知り、寅さんとふらふらになるまで飲んでしまう場面が出てくる。演じたのは関敬六さん。寅さん役の渥美清さんとは昭和20年代、東京・浅草のストリップ劇場「フランス座」に出ていた頃からの親友だ。私的な付き合いを嫌った渥美さんが亡くなって10年後の2006年8月、78歳で鬼籍に入った。(編集委員・小泉信一)

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