12月13日 寂聴 残された日々 54中村哲さんの死

朝日新聞2019年12月12日31面:無私の行いこの結果とは 中村哲さんの死のニュースは、九十七歳の長寿をもて余していた私に、強烈なショックを与えた。中村さんに私は、たった一度しか逢ったことはない。まだ建て替わる前の旧いパレスホテルの一室であった。はじめてお逢いしたが、なぜか息が合って、五時間程、二人で話しあった。主に私が矢つぎ早な質問を繰り返し、中村さんが、落ち着いたおだやかな口調で、わかり易く私の質問に答えてくれるという形式だった。整った容貌はおだやかで、紳士的な口調により、アフガニスタンやパキスタンでの医療活動や井戸を掘りつづける仕事を黙々としつづけている状態を話してくれる。干ばつと、内戦で荒れはてた土地は絶対的に水不足で、飲み水も畠の水も徹底的に不足している。中村さんは、そんな荒れ地に井戸を掘りはじめた。気の遠くなるような孤独な仕事だったが、中村さんはそれをやり通した。九州には、やさしくなつかしい家族が待つ家があったが、めったに帰ることもなかった。帰れなかったのだ。井戸を掘りつづけることが、六十数万人の人々の命と生活を保護すると思えば、その手を休めることは出来なかった。もちろん、その奉仕には、何の保障もなかった。「途中で空しくはならなかったですか? 九州の家族が漉しくはならなかったですか?」と訊くと、おだやかな表情をさらにやさしくして、「だって、六十数万人の命と、生活が、その井戸水で、よみがえるのですから」と、あっさり言う。九州の家族は文句を言わないのかと訊くと、遠い所を見るような表情をして、「妻も子供も、いつも機嫌よく送り出してくれます」という。九州の福岡市に非政府組織(NGO)「ペシャワール会」をつくり、その代表もしている。井戸水が湧くにつれ、砂漠が少しずつ畠になり、人々の生活にうるおいが生じてくる。アフガニスタンの人々にとって、中村さんは、恩人になった。私にも、中村さんから話を聞けば聞くほど、目の前のおだやかな、自分の息子のような年齢の男が、人間でない尊いものに思えてきた。中村さんと分かれた後に、私は福岡の「ペシャワール会」にも訪ねてみた。つつましやかで、建物もせまく、働く人も少なかった。中村さんの仕事は、次第に国内でも認められていったが、そんなことにおごる人物ではなかった。この恩人を、アフガニスタンでは、兇徒が襲い、凶弾え死亡させた。胸を撃たれて、おびただしい血を流して死亡した。遺体には、故国の古里の町に帰り、この十一日に福岡の斎場で、告別式が行われたとか。ただ無私の忘己利他の奉仕の報いが、この無残な結果とは! 仏道に身を任せたわが身が、この事実をどう考えたらいいのか! 中村さん! 近く私もあなたの跡を追いますよ。必ずまた逢いましょう。ゆっくり長い話をしましょう。

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