11月8日 東京新聞社説 憲法公布の日に

東京新聞2019年11月3日5面:ワイマールの悪夢から 今年はドイツのワイマール憲法誕生100年に当たります。民主的な憲法でしたが、ナチスに蹂躙されました。そなん人類史も忘れてはいけません。1919年は大正8年です。日本ではカイゼル髭が流行していました。政治家も軍人も・・。カイゼルとはドイツ皇帝。確かに威厳ありげに見えます。髭の形が自転車のハンドルに似ているから「ハンドルバームタッシュ」の異名もありますが・・。その髭の主・ウィルヘルム二世は前年に起きたドイツ革命により特別列車でオランダに亡命していました。何両もの貨車には膨大な財産が万歳でした。 完璧な基本権だった。 ドイツは帝政から共和制へと変わりました。新しい議会がワイマールという東部の都市で開かれ、「ワイマール憲法」が制定されました。生存権の条文があります。「経済生活の秩序は、すべての人に人たるに値する生存の保障をめざす、正義の諸原則に適合するものでなければならない」と。労働者の団結権なども保障されます。男女の普通選挙による議会政治も・・。「ワイマル共和国」(中公新書)で元東京大学長の歴史学者林健太郎氏は「基本権はさすがにすぐれた憲法学者の作だけにあって、最も完璧なもの」と記しました。基本的人権の保障が近代憲法の第一段階で、第二段階の社会権を装備した先進的な憲法で下。でも、この共和国は難題に直面します。第一次大戦後のベルサイユ条約で領土の一部を失ってうえ、多額の賠償金を負ってしまいました。空前のハイパーインフレが襲いました。物価水準は大戦前に比べ2万5千倍を超え、マルク紙幣は額面ではなく、重さで量られるありさまです。さらなる災難は世界大恐慌でした。六、七百万人ともいわれる失業者が巷にあふえれました。 独は「戦う民主主義」で ここでチョビ髭の男が登場します。そう、ヒトラーです。「ベルサイユ条約の束縛からドイツを解放する」と訴えて・・。30年の選挙で右翼・ナチ党の得票率は18.3%だったのに、32年には37.3%と倍増します。その翌年に高齢の大統領がヒトラーを首相に任命しています。「強いドイツを取り戻す」ためでした。直後に国会議事堂が放火される事件が起きます。政権を握ったヒッラーはこれを機に、言論の自由や集会・結社の自由など憲法に定めたはずの基本権を停止する大統領令を発布します。いわゆる国家緊急事態宣言です。皮肉にも正式名は「人民と国家防衛のための緊急令」です。憲法にあった緊急事態条項を巧みに利用したのです。決して選挙で過半数を得たわけではないのに、憲法停止という強権を手にしました。有名な全権委任法をつくったのも同じ年。違憲尾法律も可能になるもので、ワイマール憲法は完全に息の根が止まりました。チョビ髭の男から独裁者たる「総統」へ。その権力掌握がいかに早業だったかがわかります。林氏はこう書いています。「ドイツ国民は(中略)官僚の支配に馴れており、みずからが国家を形づくるという意識と慣行に欠けていた」と。「敗戦(第一次大戦)によって突然、民主主義と政党政治という新しい実践を課せられたとき、彼らはそれをいかに駆使するかに迷った」とも。民主主義を重荷に感じると「上からの強力な支配に救いを求める人々が増えた」という指摘は今日にも通じるものがあります。この反省から第二次大戦後、当時の西ドイツは「戦う民主主義」の道を歩みます。憲法秩序に反する団体の禁止などを基本法に書き込んだのです。「自由の敵には自由を与えない」精神です。現在も同じです。日本国憲法は「戦う民主主義」の考えを採りませんが、近代憲法の第三段階である「平和的生存権」を採用しています。公布から73年たち自由と民主主義は根付いたかに思われます。でも、錯覚なのかもしれません。貧困の格差とともに貧困層が増大し、若者が夢を持てない。老後の生活も不安だーそんな閉塞感の時代には、強力な指導者の待望論に結びつきかねない怖さが潜みます。政治家も付け込みます。 民衆の不満は「愛国」で 敵をつくり、自らの民族の優位性を唱えます。危機感をあおり、愛国を呼び掛けます。民衆の不満を束ねるには古来、敵をつくる方法が便利で簡単なものでしょう。現在、改憲テーマとして俎上にあるのは、戦争放棄の九条ばかりでなく、緊急事態条項の新設も含まれています。独裁者はチョビ髭の男とは限りません。ワイマールの悪夢を繰り返さぬ賢明さと冷静さが必要です。

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