11月19日てんでんこ 皇室と震災Ⅲ【6】

朝日新聞2017年11月14日3面:夫は「自分は人の財産、命を守るのが使命。それで死んでも本望だ」と言っていた。 1991年7月10日、九州南部は前日に梅雨明けし、長崎にも晴れ間が広がった。長崎空港から自衛隊のヘリで島原市に入った両陛下はまず、被災状況を聴取りするため、旅館「南風楼」に車で向かった。5階の特別室ではなく、1階の普通の客室を使った。
島原市長の鐘ヶ江菅一さん(86)らから説明を聞いた後、昼食をともにした。メニューはカレーライス、フルーツ、コーヒー。通常の地方訪問では「松花堂弁当」のようなメニューが多いが、この時、旅館は宮内庁側からカレーライスを指定されたという。ごく簡単なものを注文なさったのでは」と推し量る。
これに先立ち、両陛下は南風楼の1階のロビーで、6月3日の大火砕流で亡くなった地元の消防団員らの遺族と面会した。消防団員だった夫、公和(ひろかず)さん(当時32)を亡くした鐘ヶ江和子さん(55)は、生後5ヵ月の息子を抱えていた。当時の新聞記事などによると、皇后さまは「今何カ月ですか」と尋ね、赤ちゃんのほおをなでた。皇后さまの目に光るものが浮かんでいたという。赤ん坊は現在、父によく似た青年に育った。
同じく消防団員の夫、安男さん(当時37)を亡くした大町寿美さん(60)は3人の男の子を連れて待っていた。手には安男さんと家族で写ったスナップ写真。「両陛下に会わせてあげたい」と持参した。両陛下からは「お寂しいでしょう」と声を掛けられ、「主人の分までしっかりと育てていきます」と答えた。
当時9歳だった長男祐介さんはその後、防衛大学を経て自衛官になった。2011年3月11日の東日本大震災の際には、すぐに福島県に派遣された。寿美さんは心配でうろたえたが、夫の安男さんが「自分は人の財産、命を守るのが使命。それで死んでも本望だ」と言っていたのを思い出した。普賢岳の監視・警戒活動に奔走していた頃だった。 約1週間後、祐介さんから電話があった。「被災地にはなんいもないとよ」。寿美さんは翌日、タオルをかき集め、救援物資を送る拠点の公民館に持って行った。(中田絢子)
てんでんこ 想定にとらわれず、最善を尽くし、率先避難者たれ。本来のばらばらに逃げるという意味が発展。

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