11月15日 ザ・コラム 駒野剛(編集委員)

朝日新聞2017年11月9日16面:ペンを銃に換えて 戦争に聖域はなかった 10月21日、東京は雨だった。1943年のこの日も冷たい雨が降っていた。現在、東京五輪に向けて新国立競技場が建設中の地に明治神宮外苑競技場があった。午前9時20分から「出陣学徒壮行会」が始まった。観兵式行進曲に従い、地面に水しぶきをあげて進む、8列縦隊、1列100人の隊列32、約2万5千人。東条英樹首相が訓示。「御国の若人たる諸君が、勇躍学窓より征途に就き、祖先の遺風を昂揚し仇なす敵を撃滅して皇運を扶翼し奉る日は来たのである」。東京、神奈川、埼玉、千葉各都県の大学生らを戦地などに送った。「学徒出陣」である。
無知な私は壮行会はこの外苑だけかと思い込んでいたが、最近、大阪、京都、名古屋、仙台など国内各地や、外地と呼ばれた台湾や旧満州でも開かれていたと知った。大阪では同年11月16日に出陣学徒と激励の女子生徒ら1万3千人余りが市役所や中央公会堂などが並ぶ中之島公園に集合。天神橋から松屋町筋の繁華な街中をミナミ方向へ行進した。同日付の朝日新聞大阪本社版の夕刊の見出しは「今ぞ征で立つ学徒兵」「撃敵の意気天を衝く走行式」。戦意をあおる新聞人の罪深さ。懺愧に堪えない。
更新経路を歩いた。人車が忙しく行き交い、しのぶよすがは見当たらなかった。ペンを銃に換え、学舎から戦陣に向かった学徒兵は、10万人とも13万人とも。元々、大学、旧制専門学校在学生には微兵適齢の20歳を超えても、在学中は猶予される特典があった。太平洋戦争勃発後、戦域の拡大とガダルカナル島など激戦の結果、兵員の不足が深刻化し、猶予は撤廃された。大きな国力差がある米国と戦い始めたこと自体愚かだが、じり貧に至った段階で和平を模索するのが最低限の良識だ。この国は未来を築く「宝」を、「一切を大君の御為に捧るは皇国に生を享けたる諸君の進むべき只一の途」(東条首相)と消耗戦の捨て駒にした。戦死者は全学徒兵の約1割との推定もあるが実数は不明である。
その下の世代も戦力だった。労働者不足を補うため、旧制中学や高等女学校などの生徒らが軍需工場の仕事や土木作業、食糧生産に投入された「学徒動員」だ。働く工場が米軍機の攻撃目標となり、傷痍弾の爆撃や機銃掃射で命を落とす生徒もいた。文部科学省の「学制百年史」によれば、それぞれの職場で終戦の詔勅を聞いた動員生徒は340万人超。一方で死者1万966人、傷病者9789人に達した。志を奪われ死んだ彼ら彼女らを、我々はどれだけ記憶し、追悼してきたのかー。
兵庫県淡路島南端、福良港を見下ろす大見山に、ペン先形の塔が天空に向かって立つ。周囲は戦場の塹壕のような石積みの外壁。戦争で亡くなった男女学徒を追悼するため、67年に建設された「戦没学徒記念若人の広場」の記念塔と展示資料館だ。
圧倒的な存在感を示す造形は、広島平和記念資料館や代々木第1体育館などで知られる世界的建築家、丹下健三の設計だ。その事実は、長く一般には知られなかった。丹下自身が作品として発表せず、建物のオープニングの式典にも参加しなかった。建設に岸信介元首相や奥野誠亮元文相ら戦中に指導的な地位にあった政治家が関わったのを嫌ったのだという。
建物は変転の歴史を歩んだ。開館直後は年間5万~6万人が訪れたが、やがて減り始め、95年1月の阪神・淡路大震災の被害を受けて20年近く閉鎖状態が続いた。建物がある南あわじ市が改修工事を施し、2015年3月に再公開した。同年10月21日、外苑の壮行会と同日に、同地で終戦70年全国戦没学徒追悼式典が開かれた。神戸大の前身、神戸高等工業に入学し、45年6月に召集された元学徒兵、島一雄さん(93)は「過酷な戦闘に倒れた学友を思うと万感胸に迫り言葉がない。今日の平和と発展が貴い犠牲の上に達成されたことを決して忘れないでほしい」と呼びかけた。先の大戦に対する主義主張を超えて、私は彼ら彼女らを悼みたい。そして、今を生きる若い人にも訪ねてほしい。戦争の犠牲者に聖域や例外はない。世代を超えた非情な真理を、思い知る手がかりが、そこにはある。

 

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