10日 私の東京物語 中尾彬【1】

東京新聞2017年4月7日28面:両国の空 私が「東京の空」と初めて出会ったのが、両国駅だった。故郷の千葉県の木更津駅から房総西線の汽車に乗り、東京まで約2時間半の長旅だ。途中の千葉駅からは、銚子方面からの行商のおばさんたちが乗り込んでくる。大きな荷物を1人で二つ三つ、それを座席がわりにし、弁当を広げ大声で話す姿は房総女のたくましさそのものだった。
列車が江戸川を渡ると、車内がそわそわし始めた、東京に入ったらしい。母は白いハンカチを指先に巻き、それをチョッと舐め、私の目の中に入った石灰のカスを強引に取りながら「さあ、そろそろだよ」と云った。
列車は暗くて長いコンコースに白い煙をめいっぱいまき散らしながら止まった。両国駅だ。前を行く行商のおばさんたちは、まるで荷物が歩いているようだ。地下道から上がると総武線のホームにたどり着く。大きく息をつき上を見ると、そこは暗くて重い無色の空が広がっていた。これが東京の空か、また息をついた。
母と上京したのは、タイ国から上野動物園に象の「はな子」さんが送られてきたからだ。写真でしか見たことのない象を、どうしても見たかった。そして、その巨大さにビックリし母に聞いた。「お正月のおぞう煮は、この大きな象を細かく切って全国に配り、みんなで食べるんだね」。母は黙って私の口を思いっきりつねった。1949(昭和24)年10月のことである。私は当時7歳だった。
1942年、千葉県生まれ。武蔵野美術学校在学中の61年、日活映画「真昼の誘惑」で俳優としてデビュー。劇団民芸を経て映画やドラマで活躍。

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