1月27日てんでんこ 奥尻から【18】

朝日新聞2018年1月18日3面:石垣島では奥尻の津波が頭をよぎる。串本では住民が避難路をつくった。 北海道奥尻島から南西に約2400キロ。同じ離島の沖縄県石垣島も、過去いくどとなく津波被害に見舞われてきた。なかでも1711(明和8)年の大津波は琉球史上最悪の被害をもたらした。遡上高は約30メートルに達したとされ、多くの村が壊滅した。島内のあちこちに、打ち上げられた巨大な津波石が残る。
「大津波に襲われた島なのに、あの選択はありえない」。明和大津波を先祖代々語り伝えてきた小浜勝義(83)はあぜんとした。老朽化した石垣市庁舎の建て替え場所をめぐり、市の委員会が、浸水や液状化の危険性が高い「現在地」を市長に答申したのだ。「民意とかけ離れている」と反発が広がり、2016年、住民投票にかけられた。結果は8割超が高台の「旧空港跡地」を支持した。小浜も、数年前に災害研究者から聞かされた奥尻の悲劇と明和大津波が重なり、迷わず「旧空港跡地」に投じた。「東日本大震災に衝撃を受け、市民の意識は大きく変わった。同じ離島として、奥尻の津波被害も頭をよぎる」と市幹部は語る。市は高台への移転を決めた。本州最南端の和歌山県串本町には、住民が自力でつくった津波避難路がある。
紀伊半島の突端に位置する町は、南海トラフ巨大地震による最大津波高が17メートルと県が推定する。中心市街地の大部分は埋め立て地で、被害も大きいと懸念されている。それに備えた避難路はどうか。標高37メートルの指定避難所へは、大きく迂回しなければならない道が1本あるだけ。危惧した元区長の多屋義三(78)らは自主防災組織を立ち上げる。住民が資金を出し合い、ボランティアで約20メートルの木橋を整備した。15分かかっていた避難を6分に短縮する近道となった。
きっかけは、1993年に起きた北海道南西沖地震の翌年に奥尻町長を招いた講演会だった。「地震発生からわずか3分で津波が来た」。終戦翌年の昭和南海地震を体験している多屋は、避難路の重要性を痛感した。町は住民の取り組みを引き継ぐかたちで避難路を延ばし、高台へと続く避難階段も整備した。避難路は町全域で約190本に上る。町長の田嶋勝正(59)は「津波の到達が早い串本は、まず逃げること。防潮堤などより避難に力を入れたい」と話す。(阿部浩明)

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