1月25日てんでんこ 奥尻から【17】

朝日新聞2018年1月17日3面:中学生で津波を経験した。「自分の体験が復興に役立たないか」 北海道南西沖地震の犠牲者の二十五回忌となる昨年7月12日、東北大災害科学国際研究所の助教、定池祐季(38)は例年通り奥尻島にいた。地震発生の午後10時17分、松江地区の遺族が黙祷する様子をカメラで記録した。
あの日、中学2年生だった定池は父親の転勤で奥尻にいた。部屋で雑誌を読んでいて激しい揺れに襲われた。「津波だ。逃げろ」。隣のおじさんの声で、家族で高台に逃げた。学校が再開さると、37人の同級生の雰囲気が変わっていた。クラスがまとまった。合唱なんて歌わなかった生徒が一生懸命口ずさむ。「島のみんなが苦しんでいる。迷惑をかけてはいけない」。そんな雰囲気があった。定池が災害研究の道に進む直接のいっかけは、2004年のスマトラ沖地震だ。大津波の映像を見て思った。「自分の体験が復興に役立てないか」。当時の仕事をやめて北海道大の大学院に入り直した。
11年の東日本大震災後、奥尻には視察が急増した。北大大学院理学研究院助教になっていた定池には、現地の案内や「語り部」としての講演会の依頼が相次いだ。奥尻の復興を改めて考えるようになったのは、そのころからだ。東北の被災地に入り、住民から「郷土への誇り」「おらほの復興」と、街の再生を語る人たちにひかれた。地震から20年たった13年、日本災害復興学会が奥尻で「復興のその先へ」をテーマにシンポジウムを開いた。企画委員として参加した。「20年後の被災地のイメージを探りたい」と岩手県釜石市から参加した人もいた。
奥尻町は地震から5年後に「完全復興」を宣言し、20年たったのを区切りに町の慰霊祭はなくなった。「復興の検証もなく、これでいいのか」と思う。奥尻は「巨額の支援が生かされていない」「人口減が進んだだけ」と外部から批判され、何も反論できずにきた。島に通い続ける定池にはそう見える。それを変えるきっかけにしたと、今年5月には地域安全学会のシンポジウムを島で開く計画だ。
島の人たちに住宅の再建や商売の再開など、この25年間の思いや取り組みを語ってほしい。「できなかったことを挙げるのではなく、できたことを積み重ねていく。島民に自分の言葉で復興を語ってほしい」。あの日、同じ経験をした定池はそう願う。(大久保泰)

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