1日てんでんこ 福島に住む4

朝日新聞2017年3月30日3面:6年前の千葉県の病院での無力感。「力になることができなかった」 福島県南相馬市にある市立総合病院に勤める外科医、尾崎章彦(32)は昨年11月、症状が悪化した、入院のがん患者のことで頭を悩ませていた。50代の女性で、自宅は東京電力福島第一原発の事故で避難指示が出ていた市内の地区にあった。昨年7月に避難指示が解かれ、女性は「家に帰りたい」と強く希望した。
乳がんのが肺や骨などに転移し、すでに末期だった。病院で治療するより、望み通りに自宅で終末期を迎えた方が女性にとって幸せだろう。上司の外科科長と意見は一致した。
だが、5年4ヵ月も避難指示が出ていた地区なので、ホームヘルパーなどの十分な介護サービスは望めず、1人での自宅療養は難しかった。結局、姉が引き受けてくれることになり、患者は自宅に戻ることができた。「家族の支えがあるか、元気な人しか帰れないんだな」尾崎は、原発事故の被災地が置かれている厳しい現実を実感した。
福島第一原発から約25キロのこの病院に赴任したのは2014年10月だ。東京大学医学部を卒業し、千葉県旭市の病院で研修した後、福島に来た。6年前の3月11日。尾崎は、太平洋から約3キロの国保旭中央病院で研修医1年目を終えようとしていた。病室で、手術を控える患者に麻酔の説明をしていたとき、地震が起きた。
近くの海岸地区が最大7メートル超の津波に襲われた。被災者が次々と救急車で運ばれてきた。泥だらけで意識のもうろうとした人が、救命救急センターの処置室を埋めていく。被災者の口も中には泥や砂が入っている。普段の手術室での処置とは、まるで違った。
どうしたらいいのか。以前に習った手順を必死に思い出そうとしていると、先輩医師に「どけ!」と押しのけられた。地区では16人が犠牲になった。「医師として、何も力になることができなかった」午後9時過ぎ、自宅に戻った尾崎を包んだのは無力感だった。(奥村輝)

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