1日てんでんこ マイ電力④

朝日新聞2017年4月28日3面:慰霊碑を見守る太陽光発電の明かり。復旧後も被災各地で使われ続ける。 宮城県石巻市の旧大川小学校の校門跡の慰霊碑は、日が暮れると闇に沈んでいた。周辺に街灯がなかったからだ。「あれじゃ、亡くなった子どもたちが迷っちまう」
藤井博和(64)らが「つながり・ぬくもりプロジェクト(つなぬく)」の支援現場からの帰り道、明かりがないことに気づいたのは、震災があった年の暑い盛りのことだった。人の背丈よりも少し高い電灯をふたつ。慰霊碑の後ろ側に、見守るようにとりつけた。配線コードの先には、太陽光パネルを2枚並べた。
自動と教職員84人の命を奪った津波は、周辺の100戸余りの集落も押し流した。新北上大橋の下流は、災害危険区域に指定されたせいか、街灯がない。藤井らは、自らの判断で置いたから、支障があれば連絡を、とバッテリーの箱に携帯番号を書き残した。
数日後、遺族から「支障」ではなく「御礼」の電話があった。「助かります。子どもたちも、喜んでいるんじゃないか」
パネルなどの点検で立ち寄る藤井らと、お参りをする親たちが立ち話をするうち、慰霊碑わきのホールに太陽光発電のクリスマスツリーを飾ることになった。今でも暮れになると、太陽光のツリーが光る。
つなぬくは口コミで被災地に広がり、5年間で約250ヵ所に導入された。8割は太陽光発電だった。昨年4月、仙台市で開かれた区切りの会では、藤井や桜井薫(67)、竹村英明(65)らが顔を合わせた。竹村はその後、被災地に向かった。設置した太陽光発電がどうなっているかを確認するためだった。使われていないパネルは回収するつもりだったが、予想ははずれた。
震災から2年半、電気が復旧しなかった石巻市尾崎地区のカキ漁師の家では、いまだにラジオや冷蔵庫の電源になっていた。「まだ使ってくれていたのか」。竹村は感嘆の声を上げた。「壊れるまで使い続けるよ。支援してもらったんだから、それが礼儀でしょう」と漁師は言った。バッテリーを替えて使っているところもあった。
アンケートでは、7割以上が「今後も使い続けたい」と答えた。送電線が復旧したいまでも、自然エネルギーは予想外に大事にされていた。
(菅沼栄一郎、石井徹)

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