9月1日 平成とはプロローグ【3】

朝日新聞2017年8月29日2面:20××年の夢と呪縛 編集委員 永井靖二(50) 「平成」が終わるとされる2019年を、くしくもディストピア(反理想郷)の舞台に描いた二つのSF作品が昭和の末にヒットしていた。リドリー・スコット(79)の「ブレードランナー」と大友克洋(63)の「AKIRA」だ。
「何年生きられる?」植民惑星から脱走したレプリカント(人造人間)のリオンは2017年4月10日生まれ。寿命を「4年」と告げられ、息をのむ。
1982年公開の映画「プレードランナー」は、2019年の米・ロサンゼルスが舞台だ。スモッグに煙る過密都市。高層ビルの大画面で和服姿の女性がほほえみ、日本語のネオンが光る。監督のスコットはこの未来社会を新宿・歌舞伎町の夜景から着想した。「プレードランナーの未来世紀」の著書がある米国在住の映画評論家、町山智浩(55)は「現有の建築が朽ち果てた末の混沌とした都市像は、科学技術への懐疑が広がった社会で説得力を持った」と分析する。
公開時、スコットは「いくつかが近い将来に実現するだろう」と述べたが、今秋公開の続編「プレードランナー2049」監督のドゥニ・ビルヌーブ(49)は、米国での取材に「(現実と)違っていることのほうが、ずっと多い」と認める。作中、乗用車は空を飛ぶが、携帯電話もインターネットも出てこない。
一方、現実と映画の類似点を町山は挙げた。「トランプ政権の移民政策に端的に表れた、内外で顕在化する『異質な他者』への不寛容だ。レプリカントが狩られる作中の設定と重なる」
1982~90年に連載された「AKIRA」は、まさに五輪を翌年に控えた2019年の東京が舞台だ。第3次世界大戦で街は破壊され、東京湾に「ネオ東京」が築かれた。混沌とした未来の街に20歳前後だった私はひかれた。1984年9月発売の単行本第1巻は初版23万部が予約で完売。これも作中、空飛ぶ乗り物が登場する。
現実はどうか。科学史家で東京大学名誉教授の村上陽一郎(80)は「物理学から生命科学へ軸が移る潮流がまずある。AI(人工知能)の発達も特徴的で、家電が高度に電子化されたように、形あるものから情報技術へとなじみ深い領域が変容した」と分析する。物語通りには「訪れなかった未来」の平成。人々は「昭和」から、どんな夢と呪縛を受け継いだのか。
1952年~68年に連載された「鉄腕アトム」には、ロボットと人類の共存をうたった理想とは「対極」というべき世界がしばしば登場する。「ロボット爆弾」たちが自ら人間だと信じ込んで海底に作った王国が、その一例だ。21世紀、当の人類がテロを頻発させている。生命操作やAI開発をめぐる倫理問題も、現実味を帯び始めた。「だからこそ、元々少年漫画だった原作が、半世紀以上を経て現代の大人たちに注目されている」と、手塚の長男で近年相次ぐ原作のリメイクや関連作品の監修にも携わる手塚眞(56)は語る。
アトムの「誕生日」は2003年4月7日。15年近く経ても、同レベルの人間型知能ロボットは実現していない。だが、講談社は4月、「週刊 鉄腕アトムを作ろう!」を発刊した。全70巻。付録の部品を組み立て、ロボット「ATOM」を完成させる企画だ。
身長44センチ、体重1.4キロ。会話ができるだけでなく、インターネットで生活情報や時事の話題も取り込み、語彙を学習する。頭部のカメラで個人を12人まで覚え、子ども、成人の男性と女性、お年寄りを識別して言葉遣いを変える。NTTドコモ、富士ソフトなどを加えた計5社が共同で、2年近くかけて開発した。
動きはまだぎこちない。10万馬力は出ないし、空も飛べない。「現在の『到達点』を示すためにも、特にコミュニケーション能力に力を入れました」と、プロジェクトを率いる講談社の奈良原敦子(57)は語る。
「子ども時代に欠かさず見たテレビアニメの突湾アトムが、『未来の夢』そのものだった」という。発案した企画を進めるなか、手塚治虫本人が1970年ごろの企画書で、アトムのロボットとしてのデザインには将来性が十分あると評価し、「生きた現代っ子像をアトムに注入したい」と述べていることを知った。その言葉に背中を押された気がしたという。
「アンチテーゼ」が先に実現している現状はあると思う。だが、「ヒトの能力を上回り、負かすことよりも必要なことがある」と奈良原は語る。「人と仲良くなり、安心させる力。人の孤独を癒やせること・・・。私たちが昭和のアトムから引き継いだ理想は、まだ意味を失っていない」
 二つのゴジラが映した「変わらない日本」 1954年に封切られた「ゴジラ」は冷戦の申し子だった。放射能怪獣が日本を襲う物語は観客961万人を動員、作品はシリーズ化された。そして2016年夏、29作目「シン・ゴジラ」が公開された。監督は庵野秀明(57)。シリーズで51年ぶりに500万人を超すヒットだった。
「さようなら、ゴジラたち」の著書がある文芸評論家の加藤典洋(69)は「庵野作品の特徴は、現代を舞台に物語を一から作り直した点にある」と分析する。連作の流れをあえて無視したことで、昭和と平成の相違と類似、双方が浮き彫りにされたという。戦争体験が生々しい時期だった第1作は、焼け出された人や負傷者の描写が迫真的だ。作中、逃げる人々は「せっかく長崎の原爆で命拾いしたのに」「また疎開か」と口にする。
一方、東日本大震災と福島第一原発の事故から5年後に封切られた「シン・ゴジラ」には、死体やけが人は登場しない。災害報道でメディアが遺体の映像を禁忌としているのを、なぞるような扱いが特徴だ。「そして、この作品には生活感が極めて希薄だ」と加藤は指摘する。登場人物に家庭生活や恋愛が付随しない、いわば「人口増加率ゼロ」の世界が抑揚のない早口で淡々と語り進められる。人々の頭と体と心がバラバラに分断された平成の社会を強烈に暗揄してくると、加藤は読み解く。 だが、共通点のある。2作品ともゴジラは銀座の繁華街や国会議事堂を破壊する一方、皇居は襲わない。
「昭和から変わっていない日本社会のある部分を、シン・ゴジラは冷めた目で眺めている」と、「東北学」を提唱する民族学者の赤坂憲雄(64)は語る。著書に「ゴジラとナウシカ 海の彼方より訪れもしのたち」(14年)がある赤坂は共通点をもう一つ挙げた。
「戦争を想起させ、安全保障につながる筋立てなのに、アジアが登場せず、日米関係に呪縛されていること。戦後日本の一貫した国際社会の立ち位置を、見事に反映している」(敬称略)
 人類は幸せになれたのか 1987年、私は大学で無機物理化学を専攻していた。当時「高温超伝導」が注目され、磁石の上に浮く物質を見て、映画のような空飛ぶ乗り物が出来るかもと思ったものだ。あれから30年。自動車はまだ地上だけを走るが、地球の裏側もスマホで簡単に見られる。SFほどに外見は変わらなかった世界で、便利さは予想を超えたが、人類はより幸せになれたのだろうか。

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