10月19日 耕論 新幹線が運ぶもの

朝日新聞2019年10月17日15面:東京五輪が開かれた1964年10月に開業した新幹線。沿線の暮らしに根付くなか、台風19号の大雨で多くの線路が止まり、北陸は不通区間も生じた。各地を結ぶ大動脈はどうあるべきか。 人口減る地方こそ整備を 石破茂さん 衆議院議員 1957年生まれ。86年以来、11期連続で当選。防衛相、農水相、地方創生相と歴任。鉄道オタクとして知られる。 夏の参院選では、地元の鳥取県だけでなく、合区で一つの選挙区になった島根県にも応援に行きました。両県は東西に長く、鳥取県の東端の鳥取市から島根県の西端の益田市までは特急でも4時間近くかかります。他方、同じ中国地方の広島ならば、4時間あれば東京に着きます。その新幹線は1日52本もあります。「これは何なんだ。ひどいじゃないの」と実感しました。新幹線は今や北海道や北陸、九州でも走っています。山陰にそのうちくるかなと待っているうちに人口が減りました。鳥取県は56万人を切り、1947年ごろと並び、島根県も70万人を割り込み、大正時代の水準です。経済学者や専門家は「人口が減る地方に新幹線を造っても、多くの乗客が見込めず、採算が取れないから、造るべきではない」と言います。私に言わせれば、逆に人口が減少している地方にこそ造るべきです。私が「山陰新幹線を実現する国会議員の会」の会長なのも、「我田引鉄」ではなく、日本国の危機管理上必要だと考えるからです。東海道新幹線や東北新幹線が通る太平洋側には、東南海・南海トラフの大地震の発生が予想されています。ひとたび起きれば、日本は甚大なダメージを受けます。日本海側にも新幹線を通し、もしもの時は肩代わりできるようにし、国の持続可能性を高めなければなりません。明治維新以来、日本は東京一極集中で効率的な国家運営を進め、成果を上げました。しかし今、最も出生率が低い東京に人が集まり、日本全体の人口が減っています。中央集権国家から分権国家に変えるためにも、新幹線が必要なのです。私がイメージする新幹線とは、国の権限を移した道や洲の中で各県を結ぶものです。各県に同じような公共施設をいくつも整備するのではなく、それらを効率的に集約し、新幹線で行けるようにします。道や洲が知恵と権限をうまく使えば、地域の特性やポテンシャルを最大限引き出せるでしょう。新幹線の建設費を減らす工夫も一層求められるでしょう。たとえば、山陰や四国の新幹線の走る間隔は30分に1本でいい。そうすれば、大半は単線にできます。電池で走る列車を開発すれば、列車に電力を送る架線がいらず、トンネルも小さくできます。貨物も運ばせたり、夜行でも走らせたりするなど、目いっぱい活用するのも大切です。少子化・高齢化が進む中で、トラックやバスの運転手不足はより深刻になり、車を運転できない高齢者も増えるでしょう。大量輸送ができる新幹線は、そんな人口減少時代に必須のインフラと位置づけるべきです。(聞き手・諏訪和仁)
造った後も多額の維持費 福井義高さん 青山学院大学院教授 1962年生まれ。日本国有鉄道に入り、分割民営化後のJR東日本、東北大助教授などを経て、2008年から現職。 山陰や四国から新幹線の建設を求める声があがっていますが、もう造るのはやめるべきだと思います。巨額の建設費だけが問題なのではありません。いったん整備すれば、維持管理費に多額の経費が必要となり、今ある路線すら残せなくなる可能性があるからです。子や孫の世代に始末に負えない「粗大ごみ」を残すことになりかねません。現在、ビジネスとして成り立っている新幹線は、利用者が多い東海道、山陽、東北の東京ー仙台ぐらい。それ以外は運賃収入でインフラを維持できません。例えば、2016年に開業した北海道新幹線の新青森ー新函館北斗は、1日1㌔あたりの平均利用者数が18年度で4900人ほどです、東海道の27万人、山陽の8万にん、東北の6万人と比べてきわめて少ない。旧国鉄時代に定められていた「4千人以下は原則線路廃止」という基準を上回っているとはいえ、すれすれの水準です。私は、本州と北海道を結ぶ青函トンネルは巨額の維持費をかけるに値せず、いずれ閉鎖し、北海道新幹線は廃止した方がよいと思います。推進派は「30年に札幌まで全面開業して東京からの所要時間が4時間を切れば、利用者が増える」と訴えます。しかし、現在、東京と札幌を行き来する交通手段は飛行機です。羽田・成田ー新千歳は年間1100万人、1日あたり3万人が利用する「ドル箱路線」で、所要時間は1時間40分ほど。たとえ新幹線が「4時間の壁」を破ったところで、どれだけの人が移ってくるのか。そもそも、飛行機から鉄道に乗り換えさせるために、なぜ税金を投入しなけばならないのでしょうか。北海道と同様に利用者が少ない九州、北陸、上越の高崎ー新潟といった新幹線も将来残せるかどうか。JR東日本の場合、利用者が多い山手線や東海道線など首都圏在来線のもうけを充てれば維持できるでしょう。ただ、JR九州はもちろん、JR西日本ですら稼げる路線が少なく、将来、人口減少で利用者が減れば、自力で支えるのはいっそう難しくなります。鉄道や飛行機、自動車で人を運ぶサービスは線路、空港、道路というインフラの存在が前提です。空港や道路に比べて、新幹線は維持管理費にコストがかかります。税金を投入して整備する必要がある場合は、より低コストで建設かつ維持できるインフラを選ぶべきです。長崎新幹線の整備で、佐賀県の山口祥義知事が高コストになるフル規格に反対しているのは、真っ当な姿勢だと思います。国の財政規律が緩んでいるせいか、最近は世の中の新幹線建設に対する見方が甘い気がします。このままでは、民営化前の旧国鉄同様、新幹線も早晩厳しい状況に追い込まれるでしょう。(聞き手・諏訪和仁)
遠ざかる高度成長期の夢 関川夏央さん 作家・評論家 1949年生まれ。近代を見つめる執筆活動を展開。鉄道ファンとしても知られる。筆書に「豪雨の前兆」など。 新幹線が開業したのは14歳のときでした。「夢の超特急」という言葉は、今でも記憶の中に残っています。あのとき、世間は大騒ぎでした。1964年の東京五輪と同時だったので五輪の方が強烈ですが、新幹線が開業したとこは、日本人にとって大きな出来事だったのです。最高時速110㌔程度だったのが突然200㌔になった。支えたのは、当時の日本の技術力でした。運行の安全性を確保するために、新幹線専用の軌道を新たに採用したのは画期的でした。システムを維持する力も、国際的に見て特筆すべきものでした。1分以内の遅延だけで全列車を動かし続けられる。支えたのは、日本人のモラルだったと思います。当時の時代背景をみれば新幹線が「夢」と形容されたことは、よく理解できます。戦後の日本人の悲願は「世界復帰」でした。戦前には先進国の一角を占めていたのに、荒廃した敗戦国になってしまった。日本人にとって前回の東京五輪は、国際社会への復帰を認知された画期だったのです。世界に誇れる超特急として同年に開業した新幹線もまた、悲願の達成というストーリーの一幕として人々に記憶されたのでしょう。私は、鉄道と鉄道のある風景が好きな子どもでした。線路の近くに行って手を振ると、車内から乗客がときどき手を振り返してくれました。その点、新幹線は頭上を飛ぶように走ります。手を振っても詮ない、情緒や感傷から切り離された世界です。効率性を最重視する新幹線が生まれた背景には企業の出張文化の興隆がありました。高度経済成長が進み、在来鉄道も民間の産業水準も戦前のレベルを超えていたのです。しかしいまの日本では、多くの国民はもう「夢の超特急」という言葉を思い出しても、感傷的にはならないでしょう。「夢」に込められていたイメージがピンと来なくなっているのだと思います。人口減少と少子高齢化が本格化する時代に入ったことで、夢の意味が変わってきたのでしょう。もはや、いわゆる経済拡大は望めません。地方で車窓から見える景色に旅情を感じる機会は今でもあるでしょうが、目に映る集落の半分は廃屋かもしれません。かつて夢だった新幹線も飽和状態です。人口密集した大都市間は路線が敷かれ終わり、速度面でも飛行機と競争して勝てる市場的な余地はほとんどありません。不採算路線をこの先も本当に維持」できるのでしょうか。「ミニ新幹線」建設さえ望み薄です。いまの日本社会派、夢を失ったのではなく、成長に代わって現状維持が新たな夢になったのです。新たな夢の時代に必要なのは、新たな新幹線ではないでしょう。(聞き手 編集委員・塩倉裕)

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