震災5年 透析施設を求めて【3】

朝日新聞3月10日33面:東日本大震災後に人工透析患者となった宮城県南三陸町の三浦徳一さんは2011年5月、千葉県の病院に転院した。しかし、「ふるさとで暮らしたい」という妻の栄子さんの願いをかなえるため、地元周辺の透析施設を探すことにした。 以前、治療を受けた仙台市内の病院を通して、病院を調べてもらったが、予想通り、なかなか見つからなかった。「病床が満杯」「新患は無理」次々と断られ続けた。「千葉県にいるしかないのか」と、あきらめかけたころ、故郷の南三陸町に近い、登米市立よねやま診療所から連絡があった。1床空きができたという。6月から通い透析を受けることになった。 受け入れが決まった直後、何度も入居申し込みに落選していた南三陸町の中学校グランドにある仮設住宅に当選した。心臓のほうも落ち着いてきて、震災3ヵ月目になってやっと、夫婦ふたりの生活に戻ることができた。 透析は月・水・金曜日の週3回で1回4時間。仮設住宅を朝7時に出て、往復2時間以上の道のりを自らの運転で診療所へ通った。 「地元に帰れて、夫婦で住みながら、透析が受けれるだけでも、ありがたいと思わないとね」震災から3ヵ月たち、体調も戻ってきた。栄子さんも透析患者用の塩分控えめの食事づくりに慣れ、「震災前より健康かな」と感じる日も出てきた。 登米市に通って透析を受けて約4年半、15年12月に地元の町立病院、南三陸病院が開院した。震災時に津波で全壊した旧公立志津川病院の「復活」だった。 新病院は鉄筋コンクリート造り3階建てで、町役場などが移設された高台の造成地に建った。宮城、岩手両県で全壊した六つの公立病院のなかで初の本格復旧だった。震災で人口が2割減った南三陸町にとって、新病院は町外に出ていた町民の「呼び戻し」に向けての悲願でもあった。 南三陸病院で人工透析がスタートしたのは16年1月中旬。徳一さんを始め、それまで町外の病院に車で片道1時間から1時間半ほどかけて通っていた地元の人工透析患者たちが、次々と戻ってきた。

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