震災5年 透析施設を求めて【2】

朝日新聞3月9日33面:東日本大震災の発生から10日後、心筋梗塞の発作に襲われた宮城県三陸町の三浦徳一さんは、搬送先の仙台厚生病院(仙台市)で緊急の心臓手術を受けた。そこで思いがけず指摘された。「腎臓もかなり弱っています」転院先の仙台社会保険病院(現・JCHO仙台病院)で、医師から詳細な説明を受けた。「腎不全が起きています。仮設住宅での不規則な生活やストレスがなければ、時間をかけて食事療法で治療することもできるのですが…もし、家族から腎臓がもらえるようなら、移植を勧めます」 だが、徳一さんは「地震でみんなが生きるのに必死で苦労しているときに移植なんて考えられない」と思い、移植は受けないと決めた。残る選択肢は人工透析だ。 準備として腕に、血液を円滑に対外循環させるための「シャント」と呼ばれる血管にバイパスを作る手術を受けた。心臓手術の直後ということもあり、入院しながら透析治療を受ける日々が始まった。だが、被災地では地震で透析施設が崩壊、透析に必要な清潔な水の確保も難しく、施設がどこも絶対的に不足していた。 病院をさらに一度転院したが、症状が安定してくると転院を求められた。これから先、どこで透析を受けたらいいのかー。途方に暮れていたときに千葉市内に住む長男が病院を手配してくれた。千葉市内にある千葉社会保険病院(現JCHO千葉病院)だった。生まれ育った南三陸町から離れたくはないが、「震災を生き延びた命、大事にしないと」と思い直し、千葉へ向かった。千葉でも入院しながら透析治療を受けた。妻の栄子さんは、長男の住む市内のアパートに寝泊まりしながら病院に通い、徳一さんの身の回りの世話をした。しかし、話し相手もいない慣れない都会生活は、栄子さんにとっては精神的にもつらいものだった。 「地震で不自由な生活で、また地震が来るかもしれないけれども、やっぱり海と山があるふるさとに帰りたい」栄子さんの言葉を聴きいた徳一さんも、もちろん、同じ気持ちだった。 「苦労するとしても、故郷の南三陸町に戻って治療を受けよう」

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