震災5年 透析施設を求めて【1】

朝日新聞3月8日31面:2011年3月11日、宮城県南三陸町の三浦徳一さんは、海沿いにあった勤務先の建設会社事務所で仕事をしていた。午後2時46分、大きな揺れに襲われたあと、すぐに我に返った。 「必ず津波がやってくる…」 外に出ていた普通トラックや乗用車を大急ぎで近くの高台に避難させ、自分も走って逃げた。 町唯一の公立病院、志津川病院では、看護師らが入院患者らを次々と建物の上階へと避難させた。だが、津波は東棟(4階建て)と西棟(5階建て)のそれぞれ4階までを襲った。患者や看護師ら70人余りが犠牲になった。 海の近くにあった三浦さんの自宅も流された。「あっという間に津波で根こそぎ持って行かれた」最後の様子について、避難してきた近所の人からそう聞いた。 徳一さんは町の総合体育館などで避難生活をしつつ、震災10日後の3月21日、山沿いにある妻、栄子さんの実家にたどり着いた。その夜、異変が起きた。 寝ていると、心臓を指でつねられるような痛みを感じる。15年ほど前に心臓発作を起こし、血管を広げるために「ステント」と呼ばれる小さな金属製の筒を埋め込んでいた。「また同じ心筋梗塞の発作だ」と直感した。急いで栄子さんに医師のいる近くの中学校の体育館に連れて行ってもらった。 診察した医師は、問診だけするとすぐに救急車を手配した。震災直後で、周辺地域にある気仙沼市立病院や石巻赤十字病院はすでに患者であふれていた。医師の判断で、以前にステントを入れる手術を受けた仙台厚生病院(仙台市)に搬送されることになった。迎えに来たのは、兵庫県から応援で来ている救急車だった。岩手県の一関インターチェンジで、仙台から来た救急車に乗り換え、病院に到着したときは、出発から3時間以上がたっていた。 ただ、このときはまだ「悪いのは心臓。また、ステントでも入れるんだろう」と思っていた。まさか自分が人工透析患者になるとは、思ってもいなかった。

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