書店主が消えた街で 読んだ空気を吹き流せ

朝日新聞4月7日14面:この3月で2年務めた書評委員を交代しました。小学生のころ、同級生がいない集落へひとりで帰る寂しい山道、図書室で借りた本が友達でした。「きんこちゃん」近所のおばちゃんにからかわれたのもです。赤いランドセルの私は、まきを背負って本を読む二宮金次郎みたい、と。今なら、歩きスマホ? 40年前は、本でした。 幼なじみを仕事にするのは緊張したけれど、隔週水曜日の夕方に開かれる書評委員会が待ち遠しかった。300~400冊の新刊から編集部が絞った100冊ほどが、会議室の机に並ぶ。第一希望は一つ、第二希望は二つ、ほかにも読みたい本があればいくつでも手をあげられる。社外を中心にした約20人の委員の希望をすりあわせながら、日曜日の読書面で取り上げる本が固まっていく。誰が、どんな本を、どうして選ぶか。それを聞くのは、わくわくした。 手にする本は、人の頭や心のなかを映す。だから、書店は、その街を物語る。
香港を3月、訪ねた。中国共産党に批判的な本を出版していた書店の関係者5人が失踪した事件で、英国旅券を持つ一人が3ヵ月ぶりに戻ってきたところだった。「(中国当局に)連行されていない」と繰り返したが、信じる人はいない。一国二制度のもと、民主は不完全でもルールはある言われた香港。意に沿わない言論の弾圧を強める習近平政権は、お金と情報の「避難港」となってきたこの街に対しても、一線を越えた。そう、受け止められている。
事件の舞台となった銅鑼湾書店は、繁華街の雑居ビルにある。1階よりも家賃が安い2階の一室にあることが多く、「二楼(2階)書店」と称される香港独自の小さな店の一つだ。近年は賃料の高騰でさらに上に移り「楼上書店」とも呼ばれる。人口約730万人の街に数十あるという。
中国共産党の権力闘争や幹部の情事の暴露本、文化大革命や天安門事件の記録など大陸で出せない「禁書」を扱うことで知られる。玉石混交だが、読者はむしろ大陸に多く、人気の土産品でもある。
だが、それだけではない。狭い書棚は、店主の趣味と選書眼しだい。文学、哲学、歴史の絶版本や台湾関係、文化大革命に持ち出された本の避難港にもなってきた。 3人の若者9年前に開いた「序言書室」をのぞいた。小さなエレベーターで7階へ。50平方メートルほどの店に入ると、「香港独立戦争」(大石英司)の中国版が平積みになっている。2月の売り上げは店でトップ。日本で20年ほど前に出版された作品だが、中国の影響力の高まりに反発する人が増えるなか、新たに売り出された。 創業者の一人、李達寧さん(35)は言う。「香港独立を語る本は小説であっても、中国資本の大手や外資系の店は置きたがらない。独立まで口にする若者が現れたことを警戒する、中国当局の意向を忖度(そんたく)したものです」。
自己規制や株主の指示で、中国政府が嫌いそうな本を避ける書店や出版社が増えているという。「小さな店だから、できることがある」。香港の歴史や行方を論じる本の棚を設けた。将来を優れる人が増えているからこそ、読書がつなぐコミュニティーを育てたいと考えている。
2025年の香港を描いた映画「十年」を見た。若い監督5人が安い費用で競作したオムニバスだ。独立を求める暴動と弾圧、英国総領事館前での抗議の焼身自殺…。香港人の不安を見通すような描写が続く。昨年12月、1館で公開され、宣伝なしで広がり、大学や教会、室外など何十カ所も巡回した。「自己検閲は権力の思うツボです」と監督の一人、伍嘉良さん(34)。香港の映画祭で最優秀作品賞に選ばれたが、大陸ではほぼ報じられなかった。
書店も重要な舞台となる。街を監視する「少年軍」が禁書を売る店に卵を投げつける。主人公の息子も一員だが、卵を持ったまま、投げない。そして、発禁にされた大好きなドラえもんを救うため、ある行動を起こすー。「大きな環境を作るのは、一人一人の小さな選択なのです。あなたは何をしますか、と問いかけたかった」 身を守るために空気を読む。でも、時には読んだ空気をふき流せ、自分の息で。 小さな風を起こそう。
(編集委員・吉岡桂子)

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