患者を生きる 働く・後編【1】

朝日新聞3月29日30面:東京都江東区の区立亀戸保育園の園長、国井京子さん(56)は2006年12月、がんの定期健診で腹部のエコー検査を受け、その場で異常を指摘された。
「下腹部に影があります。すぐに大きな病院へ行って下さい」翌日、がん研有明病院で「進行した卵巣がんの疑い」と言われた。約2週間後、CTや腫瘍マカーの結果をもとに、主治医の宇津木久仁子さん(57)から「首のリンパ節に転移があり、ステージ4の卵巣がん」と説明された。さらに「治すのは難しく、1年後のことは、はっきりわかりません。万が一のことがあっても、子どもが困らないように準備を進めてください」と告げられた。 当時、国井さんには3歳年上の夫と、大学生と小学生の娘2人がいた。保育士として働いていた保育園では3歳児を担当していたが、180日間の病気休暇を取得した。治療の合間に、宇津木さんの助言に従って動き始めた。
まず江東区内のマンションを売って、東京都中野区にある夫の実家を2世帯住宅に改築し、夫の両親と家族4人で同居することにした。自分が死んでも、夫は両親に助けてもらいながら子どもを育てていけると考えた。
小学6年生だった次女(21)には、私立の中高一貫校お受験させることにした。自分が勉強の面倒をみられないと、3年後の高校受験を乗り切れるか不安だったからだ。準備期間は1ヵ月ほどだったが、無事に合格できた。
卵巣がんの摘出手術は、07年の1月末に受けた。翌2月上旬から始まった抗がん剤治療は、約半年続いた。8月に2度目の手術を受け、脾臓や大腸に転移したがんを接除した。取りきれなかった膀胱などのがんは、12月までの抗がん剤治療で大幅に縮小した。
この間に夫の実家の改修工事が終わり、家族4人で引っ越した。治療や新たな暮らしが落ち着いてきた段階で考えたのは、仕事のことだった。保育士になって20年近く。ハイハイしていた乳児がつかまり立ちするなど「成長の瞬間」に立ち会える喜びは、何ものにも代えがたかった。
「復職」が頭に浮かんだ。 (石川雅彦)

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