娘につながる地 手放せない

朝日新聞3月7日39面:泥がついた青色の小さなジャージー「熊町1年2組 きむらゆうな」胸に縫い付けたゼッケンに、手書きの優しい文字がある。 昨年12月13日、福島県大熊町の海岸で見つかった。 「またちょっと、汐凪に近づけた気がする」。木村紀夫さんは白い防護服に身を包み、4年半の間、この場所で次女の汐凪(ゆうな)(当時7)ちゃんを探し続けている。 ジャージーの文字は、妻の深雪さんが書いたもの。水洗いしたが、泥は落ちないままだ。 東京電力福島第一原発から南に4キロ。海岸線から100メートルほどの場所に、木村さんと両親の家はあった。木々に囲まれた瓦ぶきの平屋の母屋には部屋が八つ。汐凪ちゃんは庭を走り回り、ここから学校に通った。 足の不自由な同級生と一緒に遊べるよう、ハイハイでする鬼ごっこを考え出すような、利発で優しい女の子だった。 5年前のあの日、津波が汐凪ちゃん、深雪さん、父の王太朗(わたろう)さんを奪った。家も基礎ごと流された。揺れがあったとき、きむらさんは隣町の職場にいた。自宅にたどり着いたのは夕方。飼っていたドーベルマンが裏の小高い丘から泥だらけで駆けだしてきた。夜通し、3人を探し続けた。 翌朝、原発事故による避難指示が出る。長女と母を連れ、町を離れざるを得なかった。4月王太朗さんが自宅近くで、深雪さんがいわき市沖で見つかった。 だが、汐凪ちゃんは見つからない。 きむらさんは一時帰宅の機会を利用して、2011年暮れから1人で捜索を始めた。長女と暮らす長野県白馬村から大熊町に通う。 往復千キロ。12年6月に買った新車の業務用バンは走行距離が15万キロを超えた。 いま、町の行方不明者は「1」。汐凪ちゃんが亡くなったことは受け入れている。それでも木村さんは死亡届を出していない。事故の直後、捜してあげることができなかった。ちゃんと探し出すまで、死亡届を出すわけにはいかない。そう思うからだ。 3年前から、ボランティアの人たちが手助けしてくれるようになった。1人の時は自らを追い詰めるように感じていたが、少し心が楽になったように思う。 いまは月に数回続けている捜索。かって家族が暮らした場所からは、ジャージーのほかにも五十数点の遺品が見つかっている。小学校の入学式で汐凪ちゃんが着ていた礼服、結婚前に深雪さんとデート中に撮った写真。そして、震災の日に汐凪ちゃんが履いていた靴。
14年1月。この土地が、放射性物質による汚染土などを置く中間貯蔵施設の建設予定地に入っていることを知った。 「何をされても土地を売る気はない。あそこ入れなくなることは考えられない」。5ヵ月後の住民説明会で、木村さんは語気を強めて発言した。環境省の職員は「誠意を持って対応したい」と答えた。 自宅裏の高台からは、笑顔の地蔵が見つめている。木村さんが3年前に置いた。3人の名前とともに。「あなたたちのことを忘れることなく思い続けていきます」と刻んだ。 昨秋には、近くの田んぼ約30メートルに菜の花の種を植えた。「花が咲けば、上から見たらきれいでしょう」 大きく育つよう、先月、肥料も入れた。 つらそうにしている自分より、楽しそうにしている姿を汐凪ちゃんには見せたい
ボランティアの仲間と、6日も捜索を続けた。毎日、うれしそうに背負っていた水色のランドセルも、早く見つけてあげたい。
😥 文章を打ちながら涙で文字がぼやけてしまいました。 大震災でお亡くなりになった方のご冥福をお祈りいたします。

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