「もうだまされぬ」使命感 田原総一朗さん

朝日新聞4月5日13面:1987年4月にスタートした「朝まで生テレビ!」は、僕がテレビ朝日の編成局長に持ち込んで実現した企画でした。当時、フジテレビが女子大生を起用した「オールナイトフジ」がはやっていて、「何か深夜枠でできないか」と相談されていたんですね。
深夜だから予算があまりない。有名タレントは出せない。文化人に出演してもらって、プロレスの時間無制限一本勝負のような検討番組をやろうと考えました。政治生命、学者生命をかけた真剣勝負。そして、ワンテーマを電車の始発まで徹底的にやる。
番組が支持されたのは天皇制、原発、部落差別、暴力団といった、それまでタブー視されてきたテーマに臆することなく挑戦したことが大きいと思っています。ソウル五輪が開催された88年に放送した「オリンピックと日本人」。昭和天皇がご病気中でした。世間では自粛ムードが広がっていました。ずっと「天皇論をやるべきだ」と考えていました。議論の途中からテーマを天皇論に変えてしまいました。
番組はどんなテーマでも自由に討論できる「テレビの解放区」のような役割を果たしてきたと思います。一方で、最近のテレビ業界は「コンプライアンス」という言葉に縛られ、できるだけクレームが来ない番組をつくろうとしていないか。確かにネット社会ではクレームの拡散が以前とは比べられないほど速い。しかし、無難で当り障りのないテーマばかりを追いかければ、テレビはつまらなくなりますよ。
「朝まで」の常連メンバーだった映画監督の大島渚さんは、時々「バカヤロー」と激怒して話題になりました。体を張って国家や権力に反抗するインテリでした。作家の野坂昭如さんは、自身を落ちこぼれと位置づける代わりに権威や常識を否定した。晩年まで「戦後の焼け跡をさまよっている」という意識があった。2人に共通していたのは、「誰がなんといっても戦争はいやだ」という思いでしたね。
僕は11歳で敗戦を迎えました。学校の先生の言うことが「戦争は間違っていた」と百八十度変わった。ラジオも新聞も変わった。大人たちがもっともらしい口調でいうことは信用できない。僕たちには「国家は国民をだます」という実感があるが、大島さんも野坂さんも亡くなり、世の中では希薄になりつつある。二度と国民がだまされない。そんな使命感で番組を続けています。
できたら「朝まで」の収録中に死にたいですね。あれ、田原が静かになったぞ、よく見ると死んでいるぞ、なんてね。僕にとっては、それが最高の最期です。(聞き手・古屋聡一)

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