9月6日てんでんこ 西日本豪雨「14」塔の意味

朝日新聞2018年8月31日3面:隣にまた一つ塔を建て、100年後にその意味を知るようではいけない。 暗闇の中、石垣の上に人影が二つ。7月7日午前0時すぎ、倉敷市真備町地区にある源福寺。住職の小谷典尚(34)が消防団の活動の途中に立ち寄ると、石垣の上にある御霊屋の軒先で、60代くらいの夫婦が雨を避けていた。「ここでよければ使ってください」。声をかけ、明かりをつけると、川の水位の見回りに戻った。
寺のある地域は「川辺」の名の通り、高梁川と小田川の合流点の内側に広がる。たびたび水害に見舞われ、位牌を納める御霊屋は避難場所にもなった。「(川辺地域は)384世帯あったのが、わずかに19棟を残すのみ」。真備町史に記された1893(明治26)年の大洪水。御霊屋に逃げた住民が天井に迫る水から逃げるため穴を開け、屋根に上り助かったと伝わる。小谷もその屋根の写真を見たことがある。「御霊屋が立つ石垣は、神楽土手と呼ばれる輪中堤の名残じゃ」。川辺地域に住む郷土史家の加藤満宏(79)は語る。江戸時代、藩主の伊東氏が陣屋を置き、浸水から守るために集落の辺りに築いたという。
長年多くの資料を集め、古老からも話を聞いた。地区の歴史をまとめた「真備町(倉敷市)歩けば」の共著もある。水害の伝承にも詳しいが、今回の豪雨では逃げ遅れた。7日午前5時ごろ、高梁川の水位が下がっているのを確かめ、「大丈夫だ」と思った。自宅に戻り、車で出かけると、道路が冠水し始めていた。引き返し、自宅脇にある農機具倉庫の屋上に避難した。結局、倉庫と自宅は2階まで浸水。「親から子へ、子から孫へと話をしても、100年経てば忘れてしまう」。伝承という命を守る知恵が、知識にとどまっていた。
住職の小谷が寺に戻ったのは8日夜。泥水の跡は石垣を越え、御霊屋に上がる階段の3段目まで残っていた。片付けに追われる中、石垣前に4㍍近くそびえる明治26年の大洪水の供養塔は、その高さが浸水の深さだったと、親戚から聞いて初めて知った。塔の建立は大洪水から36年後。悲劇を知る人が減る中、水が来た高さを戒めとして伝えようとしたのだろうかー。今回の水害をどう語り継げばいいのか。「隣にまた一つ塔を建て、100年後にその意味を知るようではいけない」と思う。 (萩原千明)

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