9月5日てんでんこ 西日本豪雨「13」忘却の碑

朝日新聞2018年8月30日3面:1880年の洪水で亡くなった住民を悼む碑。真ん前の堤防が決壊した。 「溺死群霊之墓」倉敷市真備町地区を流れる小田川の支流、末政川沿いに、風雨にされされた石碑が立つ。1880(明治13)年の洪水で亡くなった33人の地域住民を悼んだものだ。今回の豪雨ではまさに、碑の真ん前の堤防が長さ150㍍にわたって決壊した。地区で犠牲になった51人のうち、12人がこの川沿いに住んでいた。「川は沸々と水があふれて決壊し、たちまち山野を満たす」「水は慮ることなく、悲しい叫び声が天に響く」。石碑が伝える当時の状況と同じ悲劇がまた、繰り返された。
石碑から北に約200㍍。河田勇雄(82)は7月7日未明、自宅2階でサッカーワールドカップ・ロシア大会のラジオ中継を聞きながら、横になっていた。空が白み始めた午前4時ごろ、雨が気になり窓の外に目をやると、家が泥水に囲まれていた。まもなく浸水が始まり、1階でマッサージチェアや冷蔵庫が泳ぎだす。水は天井まで迫り、ボートで救助された。「まさかここまで水が来るとは」河田の先祖は、石碑がある場所のそばで暮らし、そこに刻まれた洪水で家を流されている。地域の古老からは、家ごと流されて山際で救われたり、瀬戸内海の向こう側、香川県の屋島近くで助けられたりした人たちがいた、と聞いていた。
家を失った先祖は、数百㍍離れた土地に居を移した。その後、小田川はもとより、末政川をはじめとした支流にも堤防が築かれた。大雨の時、田にたまった水を川がはき出す排水機も各地にできた。河田は25年ほど前、元の地に近づくように今回被害に遭った場所に家を建てた。祭事で先祖がいた地域とのつながりが強かったことが理由の一つ。「水害は堤防らしい堤防がなかった昔のこと」。そんな思いや、土台を1.5㍍かさ上げした安心感もあった。かつて田だった一帯は住宅街に変わっていた。石碑は、年数回の祭りで神社に足を運ぶたび、目にしていた。石碑が傾いた時には土地をならして置き直したこともある。それでも、碑文をしっかり読んだことはなかった。地区には他にも、過去の洪水の被害を伝える碑がある。だが、そのいわれを知る人は少ない。 (萩原千明)

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