9月4日てんでんこ 音楽の力

朝日新聞2017年9月1日3面:「劇場建てるお金があるなら、うちのローン払って」。佐渡裕は悩んだ。 阪神大震災から7年を前にした2001年12月、兵庫県尼崎市で公演中だった佐渡裕(さどゆたか)の楽屋に、当時の県知事・貝原俊民(故人)が直談判に来た。「計画中の県立芸術文化センターの芸術監督になってほしい」
楽団の立ち上げやホールの設計から関わる大仕事だ。海外が活動の中心だった佐渡は悩んだが、「震災前より一層優しく力強い街になるよう、音楽で発信してほしい」という言葉に心が震えた。地震直後に仕事で海外に飛び、何もできなかったことへの罪の意識もあり、引き受けた。
演奏して評価される。そんな自分のための音楽ではなく、「人や地域にとって音楽とは何か」を考えることになった。佐渡は、劇場を根付かせるために、建設前から予定地の西宮市内をまわった。小中学校やママさんコーラスの指導をしたり、屋外でミニ演奏会をしたりした。町にはまだ更地が目立ち、被災者の生活苦は続いていた。
商店街の車座集会で「立派な劇場を建てるお金があったら、うちの二重ローンを払って」と言われたこともあった。「音楽がどれだけの力を与えられるのか」と悩んだ。一方、壊滅した商店街で震災翌月に生演奏の「路上ジャズ喫茶」を開いた店主は「改めて楽しみを持つ喜びを知った」と振り返った。「この人たちは、電気やガスだけでなく心のビタミンの大事さを実感している」
妻公子(44)も背中を押した。震災で家が壊れ、避難所で暮らした経験を持つ。「夫だから言うんじゃないが、あなたのように被災していない人に導いてもらうことも必要だ」05年10月、芸文センターは開館した。住民がやっと「あの時は苦しかった」と被災体験を口々に打ち明けるのを聞いた。妻もそうだった。「10年かかったんだな」と思った。
芸文センターには年間50万人が訪れ、世界に誇れる復興のモデルになった。震災から20年の日、マーラーの交響曲2番「復活」を演奏した。終楽章、「私は生きるために死ぬ。復活する。そう復活するのだ」と合唱すると、観客からすすり泣きが聞こえた。
まだ癒えることはない。ただ佐渡は確信している。「人は必ず立ち上がれる。そこに音楽は深く関わることができる」二つの「震災」で音楽の力を実感した世界的音楽家は他にもいる。(東野真和)

朝日新聞ASAの伸光堂西部販売 森林文化協会

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