9月24日 人生の贈りもの 作家 浅田次郎【2】

朝日新聞2017年9月19日25面:涙は非常じゃないと書けない 本質的には長編作家なんですよ。ゆったり会話や場面を書いているのが楽しい。でも短い作品を書く時のようなストーリーテリングを忘れちゃ駄目、というのが今はよく分かっています。『鉄道員』という短編で直木賞をとったので、それから短編を書き続ける運命になった。それがその後の長編小説の出来栄えを担保してくれてると思います。
例えば『蒼穹の昴』(1996年)と続編の『中原の虹』(2006~07年)を読み比べると、前者はゆったりした長編らしい長編で、後者は短編的エピソードが入っていて読みやすいんじゃないかな。長距離ランナーがたまには200メートルを走り込みなさい、という感じ。有無をいわさず書いてきたから、短編も好きにはなりましたね。 ≪直木賞を受賞した短編集『鉄道員』は、当時の直木賞選考委員から「気持ちよく泣ける」などと評価された≫
涙は非常なヤツじゃないと書けないと思う。どんなお涙話も、書きながら泣いたなんて馬鹿なことは一回もないですね。「てめえが一緒に泣いていて、悲しい話になるわけないじゃん」って。書いている自分はよっぽど冷静なんだよ。「泣かせてやろう」っていじめっ子みたいでしょう。
笑いは、自分の書いたギャグがおかしくて、書けなくなることがある。手が震えて仕事にならなくて、「今日はここまで」っていうのはよくある。ユーモアは書くぞって思って書けるものじゃない。ほとんど即興だから。ユーモア作家が少なくなったのは、文壇の才能の枯渇。あと苦悩が少なくなったのも関係するんじゃないかな。悲劇と喜劇は表裏一体。すごく貧乏したとか苦労したとかいう話をひっくりかえさないと、面白くならない。豊かだと悲劇が身近にないから、喜劇もなくなる。ユーモア小説からスタートしているからね。「苦しいときこそ笑え、悲しいときだからこそ笑え」って思うな。『プリズンホテル』(1993~97年)なんてギャグが切れてると自分でも思う。じじいになると、あれはできないな。(聞き手 高津祐典)

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